播磨地方に住む50代の奥本美紀さん=仮名=の話を続ける。奥本さんの夫はがんと闘病の末、自ら命を絶った。2018年3月のことだ。
取材に応じてくれた奥本さんが、小さなかばんから手帳を取り出す。四つ折りにして挟んでいた紙を開き、私たちに見せてくれた。
◇ ◇
そこには夫が亡くなる直前、家族に宛てたメールが印刷されていた。
「色々考えたけどねやっぱり無理です」。メールはそんな書き出しから始まる。
痛みが取れず、思考力や体力が落ちていくつらさ。家族に介護の負担をかけることへの不安。心の動きがつづられている。
「とにかく逃げるんじゃない。人はいつか死ぬ。少し早いだけ。心残りが無いわけじゃないけど。少しかっこ悪いけど。かんにんな」。自ら死を選ぶまでの葛藤が伝わる。
車の中で、練炭を使って命を絶った夫の膝には、奥本さんに向けた手紙もあった。
「あとはよろしく、泣き虫になるなよ」「あの世でも一緒になりたい」
手書きで記した文面は最後に「できれば」と書かれ、そこでぷつりと終わっていた。
「その先に何を書きたかったのだろう。何を望んでいたのだろうって思います」。奥本さんが声を上ずらせる。
◇ ◇
夫は自分で立ち上げた会社を30年近く営んできた。「いろんなことを自分で決め、実行してきた。だから、自分で思うような逝き方をしたかったのかな。私は『ありがとう』『さようなら』って言いたかったけれど、それはこっち側の思いだけなのでしょうかね」。奥本さんが夫の気持ちを推し量る。
がんが見つかった後も、3人の子どもたちの前では気丈に振る舞った。だが、夫婦で2人きりになると涙を流し、弱音を吐くこともあった。
2年の月日が流れ、ようやく夫らしい選択だったのかも、と思えるようになってきたそうだ。ただ、自殺したということで、夫の死を語りづらい面はあるという。
「私の中でも、あまり言ったらあかんって気持ちがあるのかなあ。そういうのを考えると、やっぱり、やっぱり、なんで止められんかったんかなって思ってしまいます」
そう言って、奥本さんは涙をぬぐった。
2020/5/14