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第2部 白菊の空~神風特別攻撃隊~

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串良基地跡に残る地下壕(ごう)の電信司令室。特攻機との無線交信を担った(鹿児島県鹿屋市秘書広報課提供)
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串良基地跡に残る地下壕(ごう)の電信司令室。特攻機との無線交信を担った(鹿児島県鹿屋市秘書広報課提供)

串良基地跡に残る地下壕(ごう)の電信司令室。特攻機との無線交信を担った(鹿児島県鹿屋市秘書広報課提供)

串良基地跡に残る地下壕(ごう)の電信司令室。特攻機との無線交信を担った(鹿児島県鹿屋市秘書広報課提供)

 1945(昭和20)年5月22日、串良(くしら)基地(鹿児島県)に着いた神風特別攻撃隊徳島白菊隊の操縦員、宮﨑亘(わたる)さん(88)=神戸市長田区=の出撃の日が決まった。3日後の5月25日だった。

 「それからは一緒に出撃する仲間とおっても、みんな元気に振る舞ってましたね。『頑張ろうな』って。お互い、おんなじ立場やからな。どっかしら心の中に葛藤を抱えながらも、『お国のためや』『運命や』と言い聞かせて、奮い立たせる。あいつも行く、こいつも行く、自分だけやないんやってね」

 「それにね、『生きたい』なんてことを、生きるか死ぬかの境で、そう簡単に言えるもんやないですよ。死が目前に迫っていることは、ひしひしと感じてる。そんなときに『わしは生きたい』って言って、どうなるんです。もう特攻をやらなあかんのです。そんなん、絶対に表に出されへん」

 「ただ、一人になると、一抹のあわれさを感じてまうんやね。『わしの人生、20歳で終わりか』って。出撃の前の日、搭乗予定の白菊のところへ行って、ちょっと手入れしとったんですよ。機体をポンポンたたいてみたり、ふいてみたり、翼の下でぼーっとしたり。いろいろ走馬灯のように浮かんできたな、そのときは。家のことやら、お母さんのこと思うたり、友達のことが出てきたり。一人になってこう、ゆっくり考えたら、人生のはかなさを感じてしんみりなってしもうたな」

 24日夜、第1次の徳島白菊隊が飛び立った。操縦員と偵察員のペアで、14機、28人が出撃。このうち5機10人がエンジンの不調で引き返したり、不時着したりしたが、9機の18人は戻らなかった。徳島海軍航空隊の戦闘詳報には、編成表の各機の特記欄に「電信機ヲ有セズ連絡ナキ為(タメ)成果不明」との記述が並ぶ。

 「白菊は偵察員を養成する練習機やから、もともとは無線機が積んであったんです。それが『電信機ヲ有セズ』やなんて。わざわざ取り外したんやろうね。操縦員だけやなくて偵察員まで乗っとるのに。普通、特攻機は無線機を積んで行くもんなんですよ。突撃の符号も決まっとるくらいでね。作戦に変更があったり、機体の調子が悪くなったりしたときのやりとりにも必要やし」

 「それやのに、白菊には無線機がなかった。指揮官機とか、一部にはあったみたいやけど。だから、多くは出撃したっきり、どうなったか誰も分からない。機体をできるだけ軽くしたかったんか、戦果が期待できへんから無線積むのがもったいなかったんか」(小川 晶)

2013/8/23
 

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