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第2部 白菊の空~神風特別攻撃隊~

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「特攻いうのは、やっぱり邪道ですわ」と語る宮崎亘さん=神戸市長田区(撮影・三津山朋彦)
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「特攻いうのは、やっぱり邪道ですわ」と語る宮崎亘さん=神戸市長田区(撮影・三津山朋彦)

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「特攻いうのは、やっぱり邪道ですわ」と語る宮崎亘さん=神戸市長田区(撮影・三津山朋彦)

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 1945(昭和20)年8月15日、徳島海軍航空隊の隊員は指揮所前で玉音放送を聞いた。当時20歳だった宮崎亘(わたる)さん(88)=神戸市長田区=は、敗戦の現実を受け止めきれないまま、残務整理に追われた。

 「敗戦から2、3日したら、隊もだいぶ落ち着いてきて、いろいろ指示も出るようになった。飛行記録とか、書類をまとめて燃やしました。爆弾を捨てたり、白菊を数機、福岡まで運んだりもしたな」

 「負けるいうことがどういうことなんか、全く分からんくてね。アメリカさんがどない言うてくるか分からんし。これからの生活ができるかどうか、具体的に考えられませんわな。残務整理が終わって隊が解散するとき、上官から『特攻崩れになるな』って言われた。わしは『新しい日本のために、しっかり生きるように』と受け取りました。翌年、神戸に出て警察官になったんも、この言葉が頭にあったからやね」

 「特攻いうのは、やっぱり邪道ですわ。『お国のため』いうて死を強制するんやから。そんな訓練をずーっとやっとって、ほんで日本が負けた、と。運よく生き残ったとしても、気がおかしなったり、やけにもなりますわな。特攻隊員やった人が悪いことしたり、酒を飲んで暴れたり、そういう話を聞いたこともあります」

 8月末、宮崎さんは古里の香川県法勲寺(ほうくんじ)村(現・丸亀市)に戻るため、白菊で市場飛行場から観音寺の基地まで飛び、列車に乗って丸亀駅にたどり着いた。

 「駅から実家まで、歩いたら1時間そこそこ、2里ぐらいやからな。川沿いをとぼとぼ帰った。月がきれいな夜でした。途中で休憩しよう思うて、土手に座ってたばこに火を付けたら、何か音がする。太鼓が鳴って、謡が聞こえてきたんよ」

 「隣村の盆踊りやったんやと思う。しわがれ声のおっさんがな、『エンヤコーラサー』いうて、音頭をとってやるんですわ。会場は見えへんのやけど、その辺りの空だけぼんやりと明かるくなっとってね。空襲があるときはできへんかったやろうね。何か、当たり前の営みをかみしめとるいうか、喜びにあふれてるような感じがしてね。『これが平和なんやな、戦争は嫌やな』って思うた」

 「一服だけのつもりやったけど、その場に寝っ転がりました。夜が更けるとともに、おっさんの音頭の声が高うなってくる。近所から人が集まってきて、調子が出てきたんやろうね。太鼓の音も大きくなって。風に乗って笑い声も響いてくる。ずいぶんと長いこと、ぼーっと聞いとりました」=おわり=

(小川 晶)

2013/8/27
 

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