太平洋戦争中、海軍に「白菊」という偵察用練習機があった。最高速度はゼロ戦の半分以下の時速230キロで、飛行機としてはかなり遅く、訓練用の機体のため車輪を格納できない。戦争末期の1945(昭和20)年、この白菊の両翼に500キロの爆弾を取り付け、沖縄周辺に展開する米軍艦隊に突っ込んでいった若者たちがいた。「神風特別攻撃隊徳島白菊隊」。1カ月間で56人の隊員が命を落とした。この徳島白菊隊の元隊員、宮﨑亘さん(88)=神戸市長田区=の語りを聴いた。
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