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第3部 囮の艦隊~レイテ沖海戦~

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情島(右)のそばで、米軍の爆撃を受け煙に包まれる「日向」(米国立公文書館所蔵)
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情島(右)のそばで、米軍の爆撃を受け煙に包まれる「日向」(米国立公文書館所蔵)

  • 情島(右)のそばで、米軍の爆撃を受け煙に包まれる「日向」(米国立公文書館所蔵)

情島(右)のそばで、米軍の爆撃を受け煙に包まれる「日向」(米国立公文書館所蔵)

情島(右)のそばで、米軍の爆撃を受け煙に包まれる「日向」(米国立公文書館所蔵)

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 米空母を飛び立った艦載機の大群が広島の呉軍港を襲う。1945(昭和20)年7月24日、丹波市青垣町遠阪(とおざか)の山中喜平治(きへいじ)さん(91)は、燃料不足のために軍港近くの情島(なさけじま)のそばに固定された航空戦艦「日向(ひゅうが)」で、波状攻撃にさらされた。

 「朝食をとった後じゃったと思います。急に『対空戦闘、総員配置につけ』という命令が出ましてな。配置についたら、すぐ飛行機が来ました。そのとき私の階級は兵長で、機銃長をしとりました。3連装機銃2基を同時に動かす電動は壊れとりましたで、指揮棒を持って1基の指示をしとったんです」

 「敵はあっちやこっちから急降下してきました。パイロットの顔までは分かりませんけど、人が黒く見えました。日向の艦長がやられたと聞いたのは早かったですな。爆弾が当たると、がくっと揺れます。海に爆弾が落ちると、20メートルくらい水しぶきが上がるんです。近くだと、水がかかりよりました」

 呉市史によると、この日、延べ約870機の艦載機が襲来した。「呉・戦災と復興」(呉市史編さん室編)は、米国戦略爆撃調査団の報告を引用し「何百機のうち50か60機が、200個の爆弾で日向を攻撃した」と記述する。

 「上官が大きな声で、『急降下めがけ』とわめいたときでした。近くで爆弾が破裂して、私は気を失ってしもたんです。鉄かぶとをかぶっとったけど、下から破片が飛んできたんですな。中枢の艦橋は高さ二十六、七メートルくらいあって、上の方に見張り員や通信兵がおりましてな。『下から火が上がってきて、じっとしたら焼けてしまうので、艦橋から飛び降りるのを見た』。そんなかわいそうな話も後で聞きました」

 戦いは、夕方まで続いた。呉市史は日向について「命中弾10、至近弾多数、船体大破して艦内満水」と書く。軍艦日向慰霊碑によると、午後3時38分ごろより沈没し始め、翌25日未明、浅瀬の海底に達した。

 「私を含む午前中の死傷者は、味方が呉まで運んでくれたようですが、午後は日向が沈みよりましたで、息があっても自分でよう泳がなんだりして死んだ人が多いと思います」

 慰霊碑には、乗組員1000余名中死者197名、重軽傷者600余名と刻まれている。(森 信弘)

2013/12/22

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