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沈没直前、甲板が大きく傾く空母「瑞鶴」。降ろされる軍艦旗に敬礼する乗組員の姿が見える=1944年10月25日、フィリピン・エンガノ岬沖
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沈没直前、甲板が大きく傾く空母「瑞鶴」。降ろされる軍艦旗に敬礼する乗組員の姿が見える=1944年10月25日、フィリピン・エンガノ岬沖

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沈没直前、甲板が大きく傾く空母「瑞鶴」。降ろされる軍艦旗に敬礼する乗組員の姿が見える=1944年10月25日、フィリピン・エンガノ岬沖

沈没直前、甲板が大きく傾く空母「瑞鶴」。降ろされる軍艦旗に敬礼する乗組員の姿が見える=1944年10月25日、フィリピン・エンガノ岬沖

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 1944(昭和19)年10月25日朝、敵の囮(おとり)となる任務を帯びた小沢治三郎中将の艦隊は、フィリピン・エンガノ岬沖で、米軍の航空機の激しい攻撃にさらされた。航空戦艦「日向(ひゅうが)」の射手だった丹波市青垣町遠阪(とおざか)の山中喜平治(きへいじ)さん(91)は、周囲の軍艦の惨状を目の当たりにする。

 「水平線のところでね、駆逐艦が突然、ぽんっと真っ二つに割れるんですわ。飛行機に爆弾を落とされて、積んどる魚雷に誘爆したんかも分かりませんな。あんな光景は初めて見ました」

 艦隊では小沢中将が乗る「瑞鶴(ずいかく)」をはじめ、「瑞鳳(ずいほう)」「千歳」「千代田」の4隻の空母が参戦していた。米軍の攻撃はこれら空母に集中した。

 「攻撃された空母はだんだん傾いて、沈むまでに長い時間がかかるんです。船体の下の方の赤く塗った部分が見えて、だいぶ傾いたと思ったら、兵隊がみな甲板に上がりましてな。高い所へ集まって、45度くらいの傾きになったときでした。人がまるで米粒が滑るように、ザーッと海へ落ちていきました」

 「そしたら、もう一気にガーッと早く船も沈みましたです。残った人も一緒に沈むように見えました。もっと早ように逃がしてやったら、船から離れられとんのにと思いましたなあ」

 日向の戦闘詳報によると、午前9時37分に千歳が沈没。千代田も航行が難しくなり、同10時18分には「(日向が)千代田ノ周辺ヲ廻ル」とある。山中さんが目撃した空母は千代田だろうか。

 「日向の私らは、どうしようもなかったです。こっちも止まっとったら魚雷にやられる恐れもありますんで、ずっと動き回っとるんです。沈む空母の周りを回とったんじゃと思いますな」

 小沢艦隊の戦闘詳報をみると、午前11時の欄に「瑞鶴通信不能トナルヲ以テ一一〇〇大淀ニ旗艦ヲ変更ス」との記述がある。「大淀」は巡洋艦で、このとき、司令部は瑞鶴から大淀に移った。

 「司令部が船を乗り換えたというのは、後になって聞きました。司令部員いうたら、ほかの船に移れるんやな。ええなあとみな言うとりました」

 小沢艦隊が囮となっている間に、戦艦大和などの主力艦隊は米軍の上陸部隊が集まるレイテ湾へ突入するはずだった。しかし、そうはならなかった。(森 信弘)

2013/12/17
 

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