第3部 祭礼の大河
兵庫県内一の大河・加古川の上流、加東市の上鴨川住吉神社に古くから伝わる祭礼がある。闇夜に浮かぶ中世の舞は、集落の長男だけでつくる「宮座」が、ひそやかに守り受け継ぎ、伝え続けてきた。人々の誇りが、見る者を神の領域にいざなう。

こけむした古い石段を上る。加東市上鴨川の上鴨川住吉神社。普段は人影のない境内が一年で最もにぎわうのが、10月の秋祭りだ。加古川の支流、鴨川沿いに酒米・山田錦が実るころ、中世の記憶を伝える「神事舞」(国指定重要無形民俗文化財)が奉納される。
数百年にわたり、その舞を担ってきたのは、全て長男。「宮座」と呼ばれる住民の祭礼組織だ。
宮座に入れるのは、氏子の中でも「この地に生まれた長男」だけ。10歳前後で宮座の一員となると、生涯抜けることはない。年次に応じ、詳細に決められた役割を担う。
最初は「若衆(わかいしゅ)」として十数年、神事舞の踊り手を務める。次の「清座(きよざ)」は指南役や裏方。さらに8年ほど年を重ねると「年老(としより)」と呼ばれ、全体を見守る。その最年長者「横座(よこざ)」は神事舞の最高責任者だ。
10月7日の宵宮。今年は20人の若衆と清座が、境内にあるかやぶき屋根の舞堂に集まった。下は小学3年生、上は40代後半。
割拝殿(わりはいでん)の前庭で、「斎灯(さいとう)」と呼ばれる大きなかがり火がたかれる。天を焦がすような炎の下、厳かな舞が次々に披露される。
午後8時ごろ、鼻高面をかぶった大畑寛晃さん(25)が舞堂からそろり進み出た。踊るのは「リョンサン舞(太刀の舞)」。面の鼻は額へと反り上がり、鳥兜(とりかぶと)のおんどりが宙をにらむ。2本の太刀を腰に結び、「ほうこ(矛)」を握る。
笛と鼓が響く。前日の雨でぬかるんだ地面を白足袋で踏みしめ、膝を曲げ、体を反らし、腕をひねる。動きは緩やかだが、力強い。
「生まれてからずっと上鴨川なんで。踊れて光栄です」。そう話す寛晃さんは若衆の上から3番目だ。
続いて獅子が境内を駆ける。御幣を頭に着けた9人の若衆が「田楽」を舞う。鼓を鳴らしながら輪になり、揺れて、跳ねる。その後は扇の舞…。宵宮は夜更けまで続く。
神輿(みこし)や屋台は一切登場しない。派手さはないが、古式をよくとどめ、見る者を神の領域へといざなう。


カラン、カラン。
10月7日夕、加東市上鴨川の集落に、軽やかなげたの音が響く。上鴨川住吉神社の秋祭り宵宮。宮入りを前に、祭礼組織「宮座」の座衆が、集落の藤浦商店前に集まり始めた。
宮座は「若衆(わかいしゅ)」「清座(きよざ)」「年老(としより)」からなる。加入した年数による序列だ。灰色のかすりを着るのが「若衆」で、中高生や社会人になったばかりの若者が多い。今年は新規加入がなく、昨年入った8歳が最年少。刀を背負い、腰には扇を差す。
「若衆」は、神事舞を踊るのがもっぱらの役割だ。「リョンサン舞(太刀の舞)」を宵宮で舞うのは若衆の3番手、本宮では2番手の「禰宜(ねぎ)」と決まっている。
「えらい、とうの立った若衆がおるのぉ」。誰からともなく声が聞こえてくる。10代が中心の若衆の中に40代がいる。禰宜の東谷文彰さん(41)。本来は若衆も清座も卒業した「年老」だが、進学や就職で上鴨川を離れている若衆の代役を担う。長男(8)との共演となる。
十数人の座衆がそろう。太刀を腹の前に掲げる最年長の「若衆頭(わかいしゅがしら)」を先頭に、太鼓や笛ではやしながら神社へ向かう。若衆頭の藤井智哉さん(47)も代役。故郷を離れて三木市で暮らすが、祭りに駆けつけた。
途中、座衆は服を脱いで斜面を駆け下り、鴨川の「シオカキバ」で身を清め、鳥居をくぐる。割拝殿(わりはいでん)で烏帽子(えぼし)をかぶり装束を整えると、境内の「宮めぐり」をする。たいまつを手に行き来する間はサカキの葉をくわえ、決して話してはならない。
割拝殿の前でたかれるかがり火「斎灯(さいとう)」に、シバやナラの枝が次々とくべられ、漆黒の闇を炎が焦がす。清座の新入りが務める「神主」による神楽の後、神事舞へ。舞堂の前庭でリョンサン、獅子、田楽、扇の舞と演じられる。それらを3回繰り返して宵宮は終わる。

シオカキバの周辺では幅数メートルの鴨川は、東条川を経て加古川の本流に合流する。流域は古くから肥沃(ひよく)な土地が広がり、有力者が割拠した。
平安時代、都に住む荘園領主が地元の有力者と結んだ特別な身分関係が宮座の始まりとされる。有力者は「座」を組み、祭事だけでなく村の自治を交代で担った。座の中の当番を「トウニン」と呼ぶ。宮座そのものは消えても、トウニン制度が残る地域が播磨には多い。
上鴨川ではかつて「二十四軒株」と呼ばれる株を持つ家の長男だけが宮座入りを許された。数十年前に氏子の全戸に開放されたが、「長男だけ」の縛りは健在だ。就職先の東京から帰省した若衆の大畑貴耶(たかや)さん(23)は、2日目の本宮でのみ披露される「翁舞(おきなまい)」の翁を演じた。翁舞は能楽の原型とされ、中世の面影を色濃く伝える。「よそにはない、特別感がありますよね」。だからこそ、祭りの日は上鴨川に帰りたい。

割拝殿の脇にある長床(ながとこ)。本宮の「杯事(さかづきごと)」には年老も集う。板きれの上に盛り付けられたおこわと大根なます、かつお節、ゆでた大豆を食べ、酒を酌み交わし、神事舞を見る。神様のお下がりというおこわはおにぎりにして見物人にも振る舞われる。
「宮座というのは誇りやし、工夫ですわ」。年老の最長老「横座(よこざ)」の大畑悦夫さん(74)が目を細める。
自身は6歳で宮座入りした。秋祭りは「70年前と何一つ変わらん」と笑うが、若衆だったころ、それまで口伝えだった舞の手順を初めて書き留めた。事前の練習に参加できない人も覚えやすくなるなど、工夫を重ねながら宮座を守ってきた。
現在は約80世帯が暮らす。親子3代が入る世帯もあり、宮座の総員は40人超とされる。人口減や少子化で、神事を担う若衆や清座は常に人手不足といい、代役頼みとなる。
「次男や三男にも宮座入りを許してはどうか」。そんな声も出るが、今のところ選択肢にはない。序列は本来1年ごとに上がっていくが、大畑直也さん(41)は、神事全体を取り仕切る「清座頭(きよざがしら)」を2年連続で務めた。11月の集まりで後進に清座頭を譲る。宮座入りして約30年、ついに年老になる。「でも、来年も代役で踊るつもりです」
中世の昔から、小さな集落がひそやかに守り伝えてきた祭りを支えるもの。それは人々の誇りと気概にほかならない。(記事・金慶順 写真・大山伸一郎)

主に北播磨、東播磨地域を流れる兵庫県最長の1級河川。姫路河川国道事務所によると、本流の延長は96キロ、流域面積1730平方キロメートル。源流は丹波、朝来市境の粟鹿山(あわがやま、標高962メートル)で、支流は129本に上る。西脇、加西、小野、三木市、多可、稲美、播磨町などを流れ、加古川、高砂の両市から播磨灘へ注ぐ。流域では農業など数々の産業が発達し、秋祭りも盛ん。