第3部 祭礼の大河
「とにかく祭りがうまくいくように。それだけしか考えてへん」。日岡神社(兵庫県加古川市)の秋祭り、中心にいるトウニンがつぶやいた。江戸時代以前から続く、一世一代の名誉職。門前八幡神社(多可町)では「お祷渡し」で子どもたちも役目を果たし、岩壺神社(三木市)では担い手不足を「代行」で補い、今年も無事に祭礼を終えた。

蒸し暑さの残る秋の夜。ちょうちんの灯が揺れる。屋台を引く男たちの掛け声が、家々の間をゆっくりと通り過ぎていく。
10月7日。日岡神社(加古川市)を目指す宵宮の行列は、威勢の余韻を残しながら、徐々に厳かに。太刀や弓を持った男衆、着飾った幼子の伴童(ともど)。そして、白馬にまたがった「主役」が現れた。
絹の白装束が夕闇に映える。酒が入り、和やかな周囲とは裏腹に、馬上の大辻誠三さん(67)は緊張した面持ちを崩さない。「とにかく今日と明日、祭りがうまくいくように。それだけしか考えてへん」
祭礼の中心人物ではあるが、祭典委員長や氏子総代とは立場が異なる。言うなれば、人間から一歩、神様に近づいた存在。自宅にしめ縄を飾り、「日岡大神」の掛け軸を掲げ、神様を祭る「御壇(おだん)」を構える。
「トウニン」。江戸時代以前から続く、一世一代の名誉職だ。

加古川の上流、西脇市で分かれる杉原川をさかのぼる。うっそうと木々が生い茂る門前八幡神社(兵庫県多可町)で、はだしの少年3人が石橋を跳ねるように渡っていく。本殿から水路を越え、木の鳥居までの約20メートルを3往復する。
どんな意味が込められているのか、いつ始まったのか、誰も分からない。ただ、「お祷渡(とうわた)し」に欠かせない神事として今に伝わる。
55世帯が暮らす地区では、3人のトウニンが神社の年中行事のほか、月2回のお供えや境内の清掃、雪かきなどをこなす。日岡神社(加古川市)とはやや趣が異なり、“ムラの当番”の表現がしっくりくる。戸主の男性で順繰りに担うが、近年は女性の単身世帯も増え、20年もたてば再びトウニンが回ってくる。
その引き継ぎに当たるのが、年1度のお祷渡し。9月10日、礼服に白ネクタイを締めた新旧のトウニンらが長床(ながとこ)に集まる。森の静けさに、内藤勝彦宮司(62)が読み上げる戸主全員の干支(えと)と名前、そして少年3人の足音が吸い込まれていく。
「えらかった。やれやれ」。今年の3人のうちの1人で、務めを終えた土田章司さん(67)は言う。トウニンはムラ全体の仕切り役でもある。神社と祭礼を中心に回る日々が深く根付き、住民の暮らしを支える。

地区の約150世帯のうち、古くからある30世帯ほどから選ぶ。地元で生まれ、現在も暮らす跡取りの男性で、その兄弟は不可。結婚して子どもがいる。一生に1回だけ…。
門前八幡神社と比べると、岩壺神社がある三木市岩宮地区のトウニンの条件は厳しい。数十年前までは、祭礼だけでなく、その後の宴会の一切を取り仕切り、住民をもてなせるように自宅の応接間や風呂を改修する家もあったという。
1年間の任期で少なくとも100万円を要したという金銭的負担は、30年ほど前に完成した公民館で宴会を催すようになり、いくらか軽くなった。ただ、少子化などでなり手不足に歯止めがかからない。2015年の八木正路(まさのり)さん(33)を最後に候補者がいなくなり、岩宮区長の父昌幸さん(62)が「トウニン代行」として形式上、引き継いでいる。
9月23日、「御田祭(おんだまつり)」。氏子らが集まり、酒を酌み交わして収穫を祝う年に1度のトウニンの“見せ場”は、昨年に続き、1時間足らずの簡素な神事のみで解散した。
昌幸さんがこぼす。「トウニンをなくすのはしのびないという地区の総意で代行を受けているが、今のままでは、そう遠くない時期に消滅する」。代々引き継いできた宴会用の皿や膳が入った三つの木箱は行き場所を失い、公民館に取り置かれたままになっている。

「制約も面倒も多いけど、私らの代で途切れるんはご先祖さんに申し訳がたたんから」。加古川市の大辻誠三さん(67)が、日岡神社のトウニンを受けた理由を振り返る。戦前は名誉を求める複数の男性からくじで決めるほどの人気ぶりだったが、近年は九つの町内会が持ち回りで何とか適任を選ぶ状況が続く。
趨勢(すうせい)を象徴するのが、芝生に御幣を刺して神様のよりどころとする「御壇(おだん)」の取り扱い。もともとは就任直後の2月に庭に設け、10月の例大祭まで日々のお供えを続けていたが、今は期間を大きく縮めて9月に取り付ける。
住宅事情も変わり、縦横170センチほどの土台の置き場所を確保しづらくなった。マンションの一角や道路に接する場所に置くトウニンも現れ、大辻さんも、経営する酒店の駐車場に構えた。
大辻さんは伝統へのこだわりを見せる。神に仕える立場として質素に過ごそうと、別に手掛ける不動産業では大きな取引を控えた。酒店の一角を会合のための場所に割き、祭りの関係者らが集まるたびに家族が手土産を渡すなど心配りを尽くした。
10月8日夕、本宮の終幕が近づき、トウニン行列が日岡神社の拝殿に戻ってきた。大辻さんが、詩人相田みつをさんの作品を引きつつ、この1年間を振り返った。
「長い人生にはなあ/どうしても通らなければならぬ道-/てものがあるんだな」「黙って歩くんだよ/涙なんか見せちゃダメだぜ!!」
支えてくれた家族や町内会の役員らへの感謝を述べる途中、言葉に詰まった。「何でか分からんけどね、急にこみあげてきて」。見せてはいけないはずの涙を、ぐっとこらえていた。(記事・小川晶 金慶順 写真・大山伸一郎 大森武)

神社の祭りや神事などを一定の任期で主宰したり、世話をしたりする中心的な人。その家を「トウヤ」と呼ぶ地域もある。祭礼組織「宮座」と重なり合う部分も多く、近畿地方を中心に加古川沿いの各地にも残るが、実態はそれぞれ異なる。漢字表記も、門前八幡神社は「祷人」、岩壺神社は「頭人」、日岡神社は両者が混在する。成人男性が務める地域が多いが、高砂神社(高砂市)の「頭人」は、幼児の「一ツ物」に仕える立場として少年2人が担う。