第3部 祭礼の大河
「高砂や この浦舟に帆を上げて」。高砂神社での結婚式では、今もプログラムに残る謡曲「高砂」。ともに白髪の生えるまでと誓う「じょうとんば」「尉(じょう)と姥(うば)」の「高砂人形」も、ブライダル都市の象徴だ。
高砂市民の誇り「名物」アナゴ料理。漁獲量が激減して韓国産に頼るようになった今も、その存在感は老舗でも家庭でも健在だ。「高砂ではね、アナゴが入ってないと巻きずしとは言えないのよ」。

しょうゆにくぐらせたアナゴが、熱を浴びて色づいていく。裏、表、裏と返し、秘伝のたれに浸すと、香ばしさが店先に広がる。
森繁久弥さんや桂米朝さんらがその味を愛した老舗の焼きあなご店「下村商店」(高砂市)。1905(明治38)年に下村種吉さんが販売を始めた経緯にも、逸話が残る。
日露戦争から復員する際、上官から「商売をやるなら何かに特化しろ」と助言を受け、故郷の名産に目を付けた。上官の名は、野村吉三郎。後に外交官に転じ、日米開戦時の駐米大使として歴史に刻まれている。
由緒ある百有余年を経て、名産は「名物」へと姿を変えた。アナゴの漁獲量が激減し、韓国産が店頭に並ぶようになったためだ。
「味はほとんど同じやけどね。取れるもんなら、そりゃあ地元産がいいですよ」
4代目の晋平さん(61)が、黄金色の焼き目を見つめながらつぶやく。(小川 晶)

民家の軒先に巡らせたしめ縄の間を、法被姿の男たちが練り歩いていく。「千歳楽、万歳楽」。掛け声に合わせ、辻々で神輿(みこし)を振り、神様の恵みを住民に授ける。
10月10日、高砂神社(高砂市高砂町)の神幸祭。加古川河口に程近い漁師町は華やかさを増す。その一角にある池本晃さん(73)宅では、妻の佳子さん(73)が慣れた手つきで巻きずしを丸めていた。
広げられた具材は、かんぴょう、高野豆腐、シイタケ、玉子、キュウリ、そして地元の老舗「下村商店」で買ってきた焼きあなご。「高砂ではね、アナゴが入ってないと巻きずしとは言えないのよ」。佳子さんがほほ笑む。
1990年代前半には80トンを超えた年間の漁獲量はここ数年、1トン未満が続く。原因は、温暖化とも乱獲とも言われるが、詳しくは分からない。すき焼きや天ぷらなど日々の食卓を彩ったメニューは姿を消したが、それでも、祭りや年末年始、節分には欠かせない食材となる。
池本さんの隣では、同市の料理研究家勝部滋子(しげこ)さん(74)が、かば焼きにして押し固めた新メニューの箱ずしを作っていた。思い出すのが、2013年に高砂商工会議所などが始めたアナゴの創作料理コンテストだ。企画に携わった勝部さんは、パイやちまき、サンドイッチなどの多彩なアイデアに驚き、実感した。
「アナゴは、なじみ深いだけでなく、市民の誇りでもありますね」

1本の古い映像がある。
テレビクルーを気にするそぶりも見せず、真剣なまなざしを手元の包丁に注ぐ。カウンター越しに皿を差し出すと、リポーターの目が黄金色の焼きあなごにくぎ付けに-。
「焼き目だけでなく、高砂は生きたアナゴも黄金色なんですよ。他のところでは黒やけど、加古川河口の泥と砂のバランスなんでしょう」
高砂の郷土料理店「あすか」の店主、吉田耕三さん(67)は、自身が出演したテレビ番組のビデオテープを大切に保管している。ただ、どれも十数年以上前に放送されたもの。近年は収録どころか、通常の営業でも腕を振るう機会がほとんどない。
地元産が取れなくなった以上、郷土料理として提供できないという信念からだ。一方で、今も地域に根付き、多くの人が名物を守ろうとしていることも知っている。
ブランドの重みと現実の間でジレンマを抱え続ける吉田さんだが、往時のビデオ映像を見つめる表情は、どこか柔らかい。画面に、リポーターに声を掛ける姿が映った。
「これを食べないと、高砂に来た意味がないよ」

歩道橋の側面に「ブライダル都市」の文字が並び、文化会館のホール名に冠せられる「じょうとんば」。もう一つ、高砂の名を全国に知らしめるのが、「尉(じょう)と姥(うば)」の伝説による結婚式のイメージだ。
高砂神社が創建されたとされる千数百年前、根が一つで幹が左右に分かれた「相生の松」が境内に生え、尉と姥の2神が宿った。尉がおじいさんで、姥はおばあさん。相生まれて、相老いるまで。松は夫婦が末永く寄り添う象徴となり、室町時代に謡曲の題材になると、新郎新婦の席を「高砂」と呼ぶなど婚礼の儀式に浸透する。
だが、結婚への考え方が変わるにつれて、高砂のイメージは、より形式的なものになっていく。
結納品販売「すみの」(明石市)によると、関西を中心に定着した「高砂人形」と呼ばれる尉と姥の置物は、1980年前後から取り扱いが減少。当時は結納品セットを購入した人の7割が人形を注文したが、現在は1割程度にとどまる。
高砂や この浦舟に帆を上げて…
高砂神社での結婚式は、発祥の地らしく、謡曲「高砂」が今もプログラムに残る。愛を誓ったカップルは90年代の年間約120組から月に1組ほどになったが、近年、回復の兆しが見られるという。日本文化への注目の高まりにより、都市部を中心に神前式が増えているためだ。
小松守道宮司(61)が言う。「伝統は守ろうとすると消えてしまうもの。世相の移り変わりに一喜一憂するのではなく、今ある形で語り続けることが大事だと思うんです」
伝説の相生の松は、3代目の枯死などを乗り越えて5代目に引き継がれ、境内の一角で、静かに、青々とたたずんでいる。

夫婦愛や長寿などを主題とした能の作品の一つで、世阿弥の作とされるが、金春善竹(こんぱるぜんちく)の作との説もある。おめでたい謡として、かつては結婚式で披露されるのが定番だった。高砂市では、新春交礼会で参加者全員で合唱するほか、婚姻届を出したカップルに市がCDを贈ったり、商工会議所が電話の保留音に設定したりしてPRする。焼きあなご店「下村商店」でも、商品のしおりに歌詞を印刷している。