第3部 祭礼の大河
天竺(インド)から渡来したとされる法道仙人は兵庫県内にも数々の伝説を残す。加古川の流れに沿って点在する、摩訶不思議な足跡をたどった。

善人が押せば動くが、悪人が押しても動かない。
人の内面を試す巨石が、兵庫県加西市畑町字イザナギ山という神々しい地にあるという。それって、まるでイタリア・ローマの「真実の口」じゃない?
「ゆるぎ岩」。高さ約4メートル、膨らんだ中央部の周囲は約8メートルある。別の岩に乗っかるような形で、山中の崖の上に立つ。
地元のボランティアガイド、吉田賢三さん(74)がごつごつした表面を両手で押した。「ほら、揺れてるでしょ」。えっ、どこ? 揺れてますか?
「村人が善人になるように」と岩に呪文をかけたと伝わるのは、天竺(てんじく)(インド)から渡来した法道(ほうどう)仙人。650(白雉元)年に法華山の古刹(こさつ)、一乗寺(加西市坂本町)を開いたとされる人物だが、その素性は謎に包まれている。
加古川の流れに沿って点在する、摩訶(まか)不思議な足跡をたどった。

加西市の「ゆるぎ岩」をはじめ、播磨各地に伝わる法道(ほうどう)仙人のエピソードは、突拍子もない。
瞬間移動を得意とし、法華山には紫雲に乗ってやってきた。当時、既に相当な高齢で健康面の不安が気になるところではあるが、不老長寿なので問題はなかった。
「空鉢(からはち)仙人」とも呼ばれた。托鉢(たくはつ)で道端に立たず、超能力で鉢を飛ばして供物を回収したことから付いたらしい。米俵を飛ばしたこともあり、その一つが堕(お)ちた場所「米堕(よねだ)」が、加古川、高砂市境に広がる「米田」の地名の由来になったという。
そんな奇想天外な人物に関心を持った人がいる。加古川市文化財保護協会の三浦孝一さん(78)。2010年から4年ほどかけて、百数十カ所のゆかりの地を巡った。
加西市境に接する加古川市志方町大沢の「駒の爪」もその一つ。60センチ角ほどの石の一部がくぼんでいる。仙人の乗った馬が法華山に向かって跳ねた時のひづめの跡という。
大正期に建立された傍らの石碑が由緒を強調するが、三浦さんは「境界の目印となる榜示(ぼうじ)石に、後世になって法道仙人うんぬんという話が加えられたんでしょう」と解釈する。
大沢地区には他にも伝説が残る。仙人がねじって放り投げたとされる「投げ松」。三浦さんの見立てではこれも後付けで、「幹が絡み合うような松が自然に生えるはずがない」と捉えられ、崇拝されたとみる。
一つ一つ現実に引きつけて考える三浦さんだが、仙人の実在性を否定はしない。調査の過程で、開基と伝わる寺院が、兵庫県内を中心に150カ所近く確認されたためだ。
漫画のような数々の伝承から、正規の歴史研究の対象外とされる一方で、「架空」の一言では切り捨てがたい。三浦さんは、協会の会報に率直な思いをつづっている。
「現地に立ったからと言って、法道仙人が分かった訳ではありません。ますます分からなくなってしまいました」

人間離れした存在でありながら、人間らしい“もう一人”の法道仙人もいるから、さらにややこしい。
仙人が646(大化2)年に開いた摩耶山天上寺(神戸市灘区)の縁起書によれば、仙人は雲ではなく、普通に船で日本に来たという。たどり着いた大阪で仏法を伝え広め、淀川河口の地名「伝法(でんぽう)」(大阪市此花区)の由来とされる。
来日した時期は重なるが、天上寺に伝わる仙人は、派手なパフォーマンスを繰り出す播磨の姿とは一線を画す。地道な布教活動を続け、摩耶山周辺の山々を巡る「回峰行」の開祖にもなった。寿命もあったようで、10月18日に亡くなったと特定されている。もっとも、没年がいつなのかは分からないのだが。
異なる二つの人物像を、伊藤浄真(じょうしん)副貫主(64)が解釈する。「人々の畏敬の念や神通力への期待が、法道仙人という存在に凝縮されているんでしょうな。実在を証明せんでも、ロマンがあればええと思ってます」
今も一定のファンがいるといい、天上寺が毎年命日に合わせて催す「法道仙人祭」には、酒などを持って集まってくるという。

「播磨の『ローカルヒーロー』みたいなもんでしょう。ただし、ヒーローは一人とは限りません」
複数の修行僧の功績が、神格化された法道仙人という存在に収束し、伝説が膨らんでいった。三浦さんはそんなイメージで捉えている。
とりわけ東播磨、北播磨を中心にした地域の人々には、仙人に対する素朴な信仰が身近だった。だからこそ、ゆるぎ岩や投げ松のような伝説めいたスポットが集中したのではないか。平安期には、芦屋道満(どうまん)という安倍晴明のライバルとされた謎の陰陽師(おんみょうじ)を生み、古墳の石棺に仏を彫る「石棺仏」が数多く確認されている地域でもある。
三浦さんは、風習や信仰で各地が結び付いた背景に、加古川の流れがあったとみる。訪ね歩いた仙人の開山・開基と伝わる寺院の分布をみても、北陸や山陰、九州にまで広がる一方で、播磨と、さらに上流の丹波で約8割を占める。
豊かな実りとともに、独特の信仰を育んできた大河・加古川。丹波を源流とするその流れは129本の支流を集め、幾多の不思議も引き寄せながら、播磨灘へと注いでいる。
(記事・小川 晶、金 慶順 写真・斎藤雅志)

安倍晴明と並ぶ平安期の陰陽師(おんみょうじ)で、加古川市西神吉町岸で生まれたと伝わる。屋敷があったとされる正岸寺には位牌(いはい)と像が残る。文献では、正義の晴明に対し、道満は呪法を使う悪役のライバルとして登場する。都を追放された道満が暮らしたという兵庫県佐用町の江川地域には、晴明と道満の2人を祭る塚がある。