連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

第3部 祭礼の大河

  • 印刷

 兵庫県稲美町印南にある「葡萄園池」は、かつて存在したワイナリーの名残だ。1880年に開園した国営「播州葡萄園」。幻のワイン復活を目指す人たちと、隣接する神戸市西区にある神戸ワイナリーのにぎわいに、ため池とブドウ畑の過去と未来を見る。

ため池王国とワイナリー
南欧風の「ワイン城」の回廊で乾杯。新酒の時期に園内でしか飲めない、発酵途中の「ホイリゲ」も名物だ=神戸市西区押部谷町、神戸ワイナリー(撮影・大山伸一郎)
南欧風の「ワイン城」の回廊で乾杯。新酒の時期に園内でしか飲めない、発酵途中の「ホイリゲ」も名物だ=神戸市西区押部谷町、神戸ワイナリー(撮影・大山伸一郎)

 今年も新酒ができまして「新酒まつり」がありました。待ってましたと訪ねた先は、灘の蔵元じゃなく、神戸ワイナリー。1984年のオープン以来、地元で栽培する欧州の専用品種でワインを造ってきた。

 10月最後の週末は近づく台風にもかかわらず、結構なにぎわい。解禁となった「新酒みのり」を味わう人でテーブルが埋まる。

 「ワインはブドウ8割、醸造2割。天候に恵まれ、例年以上の作柄でした」と西馬功醸造担当課長(52)は自信をのぞかせる。

 神戸ワインとはいうものの、ここ西区は旧播磨国。国営東播用水とともに丘陵地に開発された果樹団地がブドウの供給源だ。

 なるほどと地図を広げて見ていたら、思わず酔眼をこする名前があった。

 「葡萄(ぶどう)園池」。ここから西へ10キロ余り、ため池王国・兵庫県稲美町に、なんでこんな名前の池が?

稲美町に幻の「播州葡萄園」
本格的なワイン製造に期待がかかる播州葡萄園=兵庫県稲美町印南
本格的なワイン製造に期待がかかる播州葡萄園=兵庫県稲美町印南

 印南野(いなみの)台地の真ん中にある兵庫県稲美町。神戸市と接する印南(いんなみ)地区に葡萄(ぶどう)園池はある。土手に上がると、稲穂の波が眼下にさざめく。だが、確かにここにワイナリーがあった。

 その名は、国営「播州葡萄園」。1893(明治26)年ごろ、ため池になったと土手の案内板は伝える。

 元々、水に恵まれぬ土地だった。雨が少なく、河川からの取水は困難だった。水田はわずかで、主な作物は綿。それも明治になると、外国綿の輸入で暴落した。地租改正による過大な税が、さらに農民たちを追い詰める。窮余の一策が、殖産興業を推し進める政府の一大プロジェクトに土地を売り渡すことだった。

 「ブドウは乾燥地の栽培に適し、ワインで外貨の獲得を見込んだ」と郷土資料館併設の「播州葡萄園歴史の館」で藤戸翼(たすく)学芸員(45)は語る。

 建議したのは、「神戸阿利襪(オリーブ)園」を同時期に指導した近代園芸の祖・福羽逸人(ふくばはやと)。80年の開園から4年間で30ヘクタールの土地に、フランス・ボルドーなどの66品種10万本以上を植えた。岡山のマスカットのルーツもここの温室栽培にある。84年には3800キロを収穫し、千リットルを醸造。しかし、順調な歩みは阻まれる。

 天敵の害虫フィロキセラが発生。さらに台風が木を傷めつけ、収量は激減した。加えて、殖産興業政策からの転換により、播州葡萄園は神戸阿利襪園とともに払い下げられた。

 その一方、農民の悲願である疎水工事が国庫補助を得て実現をみる。「国営」施設は皮肉にも、地元の声を届けるパイプ役にもなっていた。水田化が見る見るうちに進む半面、葡萄園は急速に忘れ去られた。

町職員の熱意 1世紀ぶり姿
未開栓で発掘された液体入りのガラス瓶(左)と復刻ワイン。ラベルは町が商標権を持つ、明治時代の登録商標を使用=兵庫県稲美町国安、町立郷土資料館
未開栓で発掘された液体入りのガラス瓶(左)と復刻ワイン。ラベルは町が商標権を持つ、明治時代の登録商標を使用=兵庫県稲美町国安、町立郷土資料館

 約1世紀後の1996年、その姿が再び現れる。圃(ほ)場整備中に醸造場のれんがが出てきたのだ。

 気付いたのは、教育委員会にいた岸本一幸さん(65)。「みこし渡御(とぎょ)」で知られる天満大池近くの出身で、「葡萄園池の存在も知らんかった」だけに、入庁後に聞いた幻の葡萄園のことが頭にこびりついていた。

 それまでも、取り壊される納屋が葡萄園の建物と聞き、保存した部材を「歴史の館」に移築。町で最後の圃場整備も「何か出るんちゃうか」と現場に声を掛けたのが幸いした。

 正式に発掘調査が始まると、園舎遺跡の地下室から木箱入りのボトルが見つかった。しかも、10本のうち3本は角材やコルクで栓がされ、中の液体は「日本最古のワイン」かと一躍話題に。決め手となる「酒石酸(しゅせきさん)」は検出されなかったが、今も揮発しないよう、大事に保管されている。

 2006年、国史跡に指定。翌年には経済産業省の「近代化産業遺産群」にも認定された。

 「(伝説のトロイ遺跡を発掘した)シュリーマンみたいにね、絶対出てくるぞ、ってね。貴重な経験させてもらった」と岸本さん。ただ、施設やブドウ畑の復元などを掲げた史跡活用構想は宙に浮いたままだ。

明治の夢 史跡に再び実り
明治時代と同様の方法で栽培する播州葡萄園。試醸したワインの風味を確かめる佐藤立夫さん(左)と赤松弥一平さん=兵庫県稲美町印南
明治時代と同様の方法で栽培する播州葡萄園。試醸したワインの風味を確かめる佐藤立夫さん(左)と赤松弥一平さん=兵庫県稲美町印南

 醸造所跡を訪ねると、「公園予定地」の看板だけがぽつんと立つ。

 ところがそのすぐそばでブドウは実っていた。9月半ば、摘み取った房をおけにあけて踏みつぶし、茎を取り除く人の姿があった。

 「フランスの田舎の自家用分ならともかく、これを手作業でやるとこはないでしょう」。農学博士の佐藤立夫さん(54)が汗をぬぐう。作業の場所は元酒蔵。「絞る道具も残してたからな」と赤松弥一平(やいちへい)さん(74)。「播州葡萄園」の醸造長と園主が、2人の肩書だ。

 始まりは02年。洋酒メーカーに勤める佐藤さんは第二の人生を考え、ふらりと稲美町へ。出会ったのが、蔵元7代目の赤松さん。葡萄園の跡を見学に行くと、友人のキャベツ畑に気付いた。「ここでブドウ作られへんかな」。軽い相談に、持ち主の厚見和保さん(66)は「飲めるのならと、その場のノリで」無償で貸すと返答。“復活”は1日で決まった。

 葡萄園の記録を基に、カベルネ・ソーヴィニヨンなど良好だった5種類を約1500本、約30アールの土地にフランス式の垣根仕立てで植えた。ワインの製造免許を取って、試醸を重ね、14年には約400本を販売。明治時代の登録商標を使ったレトロなラベルも目を引き、あっという間に売り切れたという。

 「その土地でできるいいブドウを作ればいいと、フランスでは言いますね」と佐藤さん。ただ、温暖化の影響や人手不足もあり、菌類の病気に見舞われることも。今年は試醸にとどまり、収穫量はまだ不安定だ。「ワインが好きで、草取りができる人がいたら大歓迎ですよ」

 葡萄園池に秘められたドラマは、新たな幕が始まっている。

(記事・田中 真治写真・大山伸一郎)

【稲美のため池群】
神戸新聞NEXT
神戸新聞NEXT

 稲美町の管理するため池は88あり、最大は加古大池(48.9ヘクタール)、記録に残る最古は天満大池の原型・岡大池(675年)。淡河川疏水(1891年)と山田川疏水(1919年)の整備で140カ所以上に増えたが、圃場整備や東播用水事業により統合、転用された。2003年、文化的景観の重要地域180件に選ばれる。東播磨3市2町では「いなみ野ため池ミュージアム」として事業を展開している。

 

天気(9月6日)

  • 34℃
  • ---℃
  • 0%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 35℃
  • ---℃
  • 0%

  • 37℃
  • ---℃
  • 0%

お知らせ