第3部 祭礼の大河
加古川上流、西脇市と多可町を流れる野間川流域に残る摩訶不思議な神事。多可町の「こっつんさん」は、お経を収めた木箱で村人の頭を軽く叩き、西脇市の石上神社では、ナマズに変わった刀を探す「なまずおさえ」で住民がかけ声をそろえた。

野間川。西脇市と兵庫県多可町を流れる、加古川の支流。その流域にいくつかの不思議な伝承が息づく。
西脇市板波(いたば)町の古社・石上(いそがみ)神社。鳥居をくぐると、すぐ目の前に土俵があるのに驚く。10月8日、秋祭りの夜、ここで「なまずおさえ」という奇妙な名前の神事が厳かに催される。
ふんどし姿の男性2人が土俵へ上がる。片手を腰に当て、もう片方の手を斜め前へ。手を交互に上げ下げしつつ進退を繰り返し、ござの上の小刀に触れる。
「川に潜って宝刀を捜す動作ですわ」と神事保存会の長井泰弘会長(76)。
天文11(1542)年、神社から宝刀が盗まれた。村人が占い師に聞くと「盗賊は逃げる途中、野間川に落ちて死んだ」と告げる。その後、潜水夫が滝つぼで宝刀を発見。神殿に奉納しようとした瞬間、宝刀は大ナマズに変わっていた-。
以来、神罰を恐れ、神事として行われるようになったという。

川をさかのぼるにつれ、両側に連なる山と山が近づいてくる。
野間川で宝刀が見つかったとされる西脇市板波(いたば)町、石上(いそがみ)神社の「なまずおさえ神事」。神社から川沿いの県道を西北へ車で約30分。兵庫県多可町八千代区の天船(あまふね)地区に至る。
天船は中村、下村、横屋、坂本の旧4カ村から成る。毎年1月と7月、中村にある真言宗・安海寺(あんかいじ)の住職が各村に出向き、祈とうをする。その締めくくりが、江戸時代から続くとされる「こっつんさん」と呼ばれる風変わりな行事だ。
寺が保管する大般若経(だいはんにゃきょう)600巻のうち、冬は30巻、夏は20巻を「転読」という速読法で読み上げていく。最後に、村のトウニン(世話役)がお経を収めた木箱で村人全員の頭をたたく。響く小気味よい音が「こっつんさん」の名の由来だ。
寺と隣り合う中村住民センターで7月8日にあった夏祈とう。今年のトウニンを務める安達義雄さん(70)と棚倉重和さん(60)が朝から竹を切り、お札を刷り、経本を運んだ。夕方、村人十数人が集まった。
折り畳まれた経本を、佐藤俊樹住職(64)がアコーディオンのようにぱらぱらと読み進める。10分ほどで20巻分の転読を終え、最初の巻と最後の巻を丸めて木箱に収めた。
「それでは、こっつんさんを始めます」
最初に、佐藤住職が木箱を持ち、安達さんの頭を「こっつん」。次に木箱を受け取った安達さんが住職の頭に「こっつん」と返す。その後、安達さんが全員の頭を順に「こっつん」とたたいていった。
「シャキッとする」「お経が体中に染み渡るような」。村人は晴れやかな表情でお札を受け取り、足取りも軽やかに帰っていった。
「願いをかなえるには三つの力が必要」と佐藤住職は説く。仏や神の加持力。自分自身が持つ功徳力。そして「漫画のドラゴンボールに出てくる『元気玉』みたいなもの」という全員の力。響き合う「こっつん」が、村に平穏無事をもたらす。

リョンリョン。ゲイゲイ。天船では、秋にも不思議な声が響く。
安海寺に近い、同じ中村にある貴船神社。樹齢260年超というイチョウなどの大木が目を引く。
10月7、8日の秋祭り。鼻高面を着け、褐色の舞鶴紋のある衣を着た氏子が「リョンリョン」の掛け声でやりを振りながら境内を跳び回る「龍王の舞」を披露した。続く田楽では、氏子らが楽器のささらと太鼓を鳴らし、「ゲイゲイ」と唱和する。
「リョンリョン、ゲイゲイを聞いて育ったからねぇ、うちらは」
神社から約400メートル北、天船の名を冠した巻きずしが大人気の特産品販売店「マイスター工房八千代」の藤原隆子施設長(70)が笑う。
祭りやお祝い事の日は巻きずし。そんな思い出から生まれた「天船巻きずし」は、みずみずしいキュウリに卵焼き、シイタケなどの具材にこだわり、1日約1800本を売り上げる。静かな山あいの店に、平日朝から長蛇の列ができる。
北播磨には、同様に地元の食材で作った巻きずし商品が多い。「景色も一緒に食べて帰ってほしいんよ」と藤原さん。地域の魅力を伝え、守る一助になれば、と知恵を絞る。

再び、石上神社。「なまずおさえ」の伝承によると、宝刀が盗まれた後、二つの村が策を練った。神事の冒頭、西脇市野村町と板波町が2カ所に分かれ、「コ」の字形に敷かれたござの上で「シュウシ」と呼ばれる作戦会議をし、酒を酌み交わす。
板波町の席に着くのは、限られた家でつくる講組織「ホントウ」の一員。一方の野村町は神事保存会のメンバーだ。野村町のホントウは3年前、人手不足で解散した。同時に、氏子の役員が中心となって保存会を設立。講に代わって神事を担う。
「講が解散するなら神事もしまい、という声もあったんですわ」と保存会の長井泰弘会長(76)。結果的には、以前よりも幅広く氏子を巻き込みながら、神事は続いている。
シュウシが終わり、土俵に潜水夫役の男性2人が上がる。「ねってい相撲」が始まった。「アー、ヨイショ、ヨイショ」。動きに合わせ、講も保存会も、そうでない氏子らも、みんなが声をそろえた。
宝刀の行方は分からないまま。神事は「今でも捜していますよ」と神様に報告するためとも言われる。
さまざまな不思議をたたえて流れる野間川。その清らかさは昔も今も変わらない。(記事・金 慶順 写真・大山伸一郎)

中、加美、八千代の旧3町が2005年11月に合併して誕生。人口約2万1千人(17年11月現在)。加古川支流の野間川や杉原川が流れ、千ケ峰、笠形山、妙見山がそびえる。奈良時代の地誌「播磨国風土記」に登場する巨人「あまんじゃこ」が背伸びをし、「空が高い」と喜んだことから「多可」と名が付いたとされる。八千代区は祝日「敬老の日」発祥の地としても知られる。