「医者にかかりたくてもかかれない人が多いということ。このままでは医療が途絶え、慢性病患者の命を守れない」
被災者の医療負担金を免除する国の措置が昨年末で打ち切られ、免除対象だった患者の受診が激減したことについて、十六日、神戸・三宮で記者会見した兵庫県保険医協会の尾家伸雄・副理事長は、強い口調で怒りを表した。
同協会の調査によると、国民健康保険に加入する被災者の受診は約四割も減少した。尾家副理事長は「ある仮設住宅では、通院の代わりに市販のドリンク剤を飲み、病状をごまかすことがはやっていると聞く。危機的な状態」と加えた。
「二年目は復興の正念場」の声をよそに、弱者切り捨ての姿がある。副理事長の嘆きを神戸医療生協「番町診療所」の久保イネ婦長は昨年末、現場で深刻に受け止めていた。
診療所の患者は大幅に減った。来ない患者に電話で通院を促し、薬を送り続けているが、「家も職も失い、病気なんてもうどうでもいいと言う人さえいる」と、久保さんは話した。
震災直後、避難所などを回った久保さんには、いわゆる”弱者”が置き去りにされていた一年前の光景と、受診をあきらめてしまった現在の在宅患者が重なって見える。
本当に困っている人は、いよいよ行き場をなくしつつあるのではないか。
「避難所で老人二十四人が死亡・震災後に持病悪化」。昨年二月三日付本紙一面のこの記事が、関連死の存在を告げた最初だった。仮設住宅への入居後も死者は増え続け、自治体に認定された分だけでおよそ八百三十人に上る。
なぜ、亡くなったのか。亡くなることがわかっていたのではなかったか・。そんな思いが取材に向かわせた。
公表されたデータはほとんどなく、全体像がつかめない。体に受けたダメージがもとで亡くなったケース、治療の中断、ストレス、仮設住宅での孤独死、自殺…。原因は分類できても、一つとして同じ事例はない。
国や自治体、医師、福祉関係者、学者でこの問題に関心を持つ人は多いとはいえなかった。震災後の特定疾患による死者を調べていたある医師は「病院に来てくれれば助かったのに」と語った。なぜ病院に来れなかったかについては関心がない様子だった。
取材でおぼろげに浮かんできたのは”ハードルを超えた死”だった。
満員の体育館で車いすのまま過ごした後、施設に移り、肺炎で亡くなった高齢女性がいた。教室に入っていたら、もう少し早く施設へ行くことができていたら、施設からすぐに病院に行くことができていたら…。生を得る機会は何度もあったにもかかわらず、彼女は死んだ。「たら…」に後戻りはない。
関連死の認定を受けた人は、六十歳以上が九割を占め、六十歳未満で亡くなった人には、病弱者や障害者が少なくなかった。
福祉施設の少なさ、薬に対する認識の甘さ、病院と診療所や病院間の連携のまずさ、周囲の配慮の少なさ…。取り上げた問題点は、震災前から指摘されていたことばかりである。
震災直後から救援活動を続けている福祉施設長は「五時四十六分は天災だが、直後から人災と”行政災”が始まった。根底にあるのは、高齢者は死にゆく人と皆がみていることだった」と指摘した。
高齢者専用避難所を造った梁勝則医師は「極限下で社会的弱者が脱落し、それが関連死という結果になった。競争社会の置き去りに等しい。多くの犠牲は、共生社会の原理の大切さを教えているのではないか」と語った。
「自助努力を」の声が日増しに強まる。関連死を「教訓」という言葉とともに片づけてはならない。
(記事・網麻子、荒川克明、石崎勝伸、小野秀明、佐藤光展)
=おわり=
1996/2/19