六千三百八人の死者に、多くの黙とうが捧(ささ)げられた震災一周忌。しかし、その祈りはすべての犠牲者に届いたわけではなかった。
地震の約二カ月後、一人暮らしだった当時八十二歳の叔母を肺炎で亡くした神戸市長田区の森一夫さん(72)=仮名=は、やりきれない思いでその日を迎えた。死をみとった医師は、叔母の死を「震災関連死」と判断したが、追悼者名簿に叔母の名を書き加えてもらえなかった。
「今はわれわれが供養しているが、いつまで続けられるか」。十歳は若く見える森さんは、自宅のソファに深く腰を下ろし、表情を曇らせた。
叔母は、信仰心が厚く辛抱強い人だった。二十年前に夫を亡くし、子供もいなかったので向かいに住む森さん夫婦が世話をした。健康状態はよく、大病を患ったこともない。
ところが、地震を境に急に気力、体力が衰えた。一部損壊の家で生活していたものの、怯(おび)えが治まらず、夫婦の差し入れるおかゆや煮物をまったく口にしなくなった。二月六日に倒れ、意識が戻らないまま、三月十五日に亡くなった。
医師が判断を下すまでもなく、森さんは叔母の死は震災で引き起こされたと確信している。だが、自分には「関連死」として申請する資格がないことも分かっている。
神戸市は、関連死判定は災害弔慰金の支給審査の形で行っており、申請は弔慰金の受給資格がある配偶者、子、孫、父母、祖父母に限られる。該当しない森さんのようなケースでは、叔母の死を「関連死」とさえ認めてもらえない。医師が震災との関連を認めているにもかかわらず、六千三百八人の数にも含めてもらえない。
「(直接死と関連死を合わせた)震災死は、現行の『災害弔慰金の支給等に関する法律』を通してしか把握できない」。審査を担当する喜旦元和・同市民生局長は話した。
名簿からこぼれ落ちる犠牲者について、市が考慮する機会はなかったわけではない。規定で受給対象から外れる遺族が、市役所を訪れたケースはこれまでに三件あった。が、いずれも弔慰金の支給とからんで受理されていない。少なくとも震災死の可能性のあった三人が、審査の網から漏れたことになる。
「弔慰金と切り離した申請を現在の委員会で審査すると、受給対象外の親族にも弔慰金が支払われるかのような誤解を与える恐れがある。混乱を防ぐには別組織をつくる必要があり、手間がかかる」
喜旦局長は、森さんのケースのような”隠された死者”を把握する必要性は認めながらも、実行に移す際の懸念を口にした。
だが、すべての被災自治体が審査をためらっているわけではない。
尼崎市は受給対象外の親族からも申請を受け、例えば急性肺炎で亡くなった女性を関連死と認めた。そう扱うことがもっとも自然な形だからという配慮だ。神戸市が心配する誤解や混乱は起きていない。神戸市の審査は、杓子定規(しゃくしじょうぎ)な印象をぬぐえない。
過酷な避難生活に耐え切れず、春を待たずに亡くなった多くの高齢者たち。
「震災死と認めてもらえれば、年に一度、皆さんに追悼してもらえる。信仰心の厚かった叔母には、それが一番の供養になる。それ以上、何も望んでいない」
親族の切なる願いは、届くことがないのだろうか。
1996/2/8