「人生暗黒」
桜のつぼみが膨らみ始めるころ、岡田輝男さん(仮名)は、病室にそんなメモを残して命を絶った。
診断書には「自宅が倒壊してうつ状態だった」とある。
戸建ての自宅で独りで暮らしていた岡田さんは、震災前は元気だった。地震で家が壊れ、避難所に行った。すぐに失禁が始まり、市のあっせんで市外の老人ホームに緊急入所。家族は市職員に今後の意向を聞かれてホームへの正式入所を希望した。
「その場合、順番待ちが必要なので病院の老人病棟に入って待ってはどうか」との言葉にしたがい入院させた。その日、岡田さんは「また来てな」と家族に笑顔を向けた。自殺はそれから二週間後だった。
家族は「地震さえなければ、こんな死に方はしなかったと思う」と話した。
西宮を皮切りに宝塚、神戸市が計十二人の自殺者を「関連死」と認定した。法律では、「故意または重大な過失による死亡には支給しない」とあり、これまで自殺者が含まれたという記録はない。多くの「関連死」が適用されたのは、阪神大震災が初めてだった。
西宮市の問い合わせに、厚生省は「因果関係があれば対象となる」との判断を示した。昨年五月末の市の審査委員会で「震災後、精神疾患にかかったと医師が認めた場合、関連死とする」と決めた。
震災後、心的外傷後ストレス障害(PTSD)などが注目されただけに異論はなかった。一人目は自宅が全壊し、職を失った人だった。「事情を聞けば聞くほど、災害が関係していると思われた」と同市災害援護管理室はいう。
厚生省保護課は「法は自然災害が原因かどうかを問題にしており、亡くなり方は問わない。今後も同じ方針」と話す。
十二人の事情は、さまざまだ。妻とは別居中で、震災で自宅は半壊、子どもは妻の親類宅へ避難し、避難所で独り生活していた男性。別の男性は、余震で不眠症になり、自宅の修理費用などで悩んでいた…。
自治体の認定とは別に兵庫県警は一月、「震災が原因とみられる自殺は三十二人」と発表した。関連死認定分と重複するのはわずかで、線引きのあいまいさ、難しさがほの見える。
自殺の全体像は明らかになっていない。一般論と断って神戸大学医学部精神神経科の安克昌助手は「治療を受けていないうつ病患者が多いのでは」と話す。
うつ病は喪失体験が原因となって起き、精神科領域で最も多い。地震では自宅や家具など財産の喪失、肉親との別れ、家族や地域とのつながりの断絶などがあてはまる。
物事が手につかないなどに始まり、まばたきができないほどになったり、悲観的な考えが強くなる。
「人生暗黒」と書き残した岡田さんの動機が喪失感だったのか、他に原因があったのか…。
被災地を何度も訪れ、「災害救援」(岩波新書)などの著書がある京都造形芸術大の野田正彰教授(文化精神医学)は「本人が生きる意味があると思えるようにすることが大切」と語った。
大阪市の「国際ビフレンダーズ自殺防止センター」(TEL0120・30・4343)には、いまも「もうやっていけない」「死にたい」と、被災地から電話がかかる。西原由記子所長(63)は「独りと感じさせないことと、しんどいという気持ちを周囲が無条件に聞いて受け止めることが大切」と話した。
自殺防止の決め手はみつかっていない。
1996/2/16