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(6)ナガタドリーム 目指すは”一国一城の主”
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新感覚で経営刷新 8年でトップクラスに
 「底の幅をもう少し広げた方がええな」
 サンプルの靴を照明にかざしながら、K&K社長、呉本和良(44)の入念なチェックが続く。
 かたずをのんで、呉本の言葉を待ち受けるメーカーの社長。彼らは、そのチェックを「関所」と呼ぶ。色、形、履き心地、原価…と、呉本は一つ一つ問い、納得がいかなければ、直ちにやり直しを命じる。「関所」を通過したものだけが、ショールームに並べることを許される。
 呉本は、ケミカルシューズのメーカー七社でつくる「K&Kグループ」の総帥。創業からわずか八年目だが、グループの月産は十万足を超え、早くも業界トップクラスの地位を築いた。

    ◆

 呉本が、炉端焼屋をたたみ、車一台でケミカルシューズの内職の親方を始めたのは十四年前。三十歳だった。メーカーから靴の飾りなどを受注し、内職の主婦らに仕事を配りながら「いつかはメーカーの経営者に」と、夢を描き続けた。

 九〇年、五坪の事務所を借り、念願の独立を果たす。当初から、店頭価格三千九百円の靴作りにこだわった。「千九百八十円と並んで売れ筋の価格帯で、しかも付加価値をつけられるゾーン」との読みだった。

 三千九百円の制約の中で外反母趾(がいはんぼし)の防止や、抗菌、撥水(はっすい)などの機能をどう付加するか・。使う側の立場に立って、呉本は工夫を重ねた。そんな発想が量販店に受け入れられ、安定した販売ルートを確保する。

 しかし、順風ばかりではなかった。ようやく事業が軌道に乗り始めた三年目、取引先の問屋が倒産し八千万円の手形が焦げ付いたのだ。「あそこは危ない」。長田の噂は早い。たちまちに広まった。

 窮地を切り抜けた呉本はその後、やる気のある部下に資金的な面倒をみて独立させ、メーカーグループを組織化していく。

 自らは企画のほか資金手当て、人繰りなど管理業務に専念。靴作りは、全幅の信頼を置くメーカーに任せる。業界では異例の「K&K方式」。企画から靴作りまですべてを手掛けるワンマン経営者の多い業界を横目に、常に自分流を模索してきた。

 多数のメーカーと取引する加工業者は「なあなあの世界が残る長田にあって、あそこはグループの結束力が強い上に、役割と責任体制を明確に分担し、甘えを許さない」と、一目も二目も置く。

 「足の引っ張り合いが目立つ」、「一発狙いが多い」・が、経営者らがよく口にする業界の”自己分析”。日本ケミカルシューズ工業組合の歴代理事長会社十社のうち、今も操業しているのは、わずか四社。業界の栄枯盛衰の激しさを物語る。

 目まぐるしく変わる業界地図。そんな中にあって呉本は「明日はわが身」と、緊張の糸を緩めない。

    ◆

 一年前、K&Kに入社した梁川昌平(25)には、忘れられない思い出がある。

 父親が長田で紳士靴メーカーを経営していたが、取引先の手形が不渡りになり倒産したのだ。中学生の時だった。まじめ一筋に、朝早くから働いていた父の無念そうな姿。梁川は業界に嫌悪感さえ持った。

 しかし、父の口利きもあって、不安を感じながらも、結局は父と同じ道に入った。

 呉本がそんな梁川の思いをどう受け止めたか定かではない。ただ、入社半年目には、一つのモデルの資材発注から完成品作りまで、すべて任せた。「納期に間に合うように完成した時の満足感は何にも変えられない。少しでも多くのものを吸収していきたい」と、今では梁川も意欲をみなぎらせ、いつかは”一国一城の主”をと夢見る。

 呉本は、時折、冗談交じりにこう言って梁川の士気を鼓舞する。
 「早く、おれにかかって来いよ」
 一日も早く実力をつけ、自分と対等に競争できるように頑張れよ-との意味だ。
 ”ナガタドリーム”は、今も脈々と波打つ。

(文中敬称略)

1998/8/26
 

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