「住宅展示場みたいでしょ。きれいだけど、人けがなくてね」
神戸市長田区の旧菅原商店街で店舗兼住宅に暮らす、山本千里さん(79)が寂しく笑った。南北に伸びる商店街と、菅原市場の店舗が軒を連ねたが、震災で炎にのまれた。
復興区画整理事業が導入され、2003年に事業は完了。店舗や住宅の再建は一段落したが、震災前の4割以下まで落ち込んだ人口は今も半分以下だ。
「あのお客さん、どうしているのかなぁ。みんな、散り散りになってしまった」。山本さんがつぶやく。
顔なじみの店主が次々と鬼籍に入り、まちづくり協議会の会長として復興に尽くした夫の勤さんも昨年1月、他界した。
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戦前からの長い歴史を持つ菅原市場や商店街は、地域住民や工場労働者らで大いににぎわった。だが震災前には往年の活気は消えており、店主らの高齢化も目立っていた。そこへ震災が襲った。
菅原市場は37店舗全てが焼失。焼け野原に残った黒焦げのアーケードは、大震災を象徴する光景として全国に知れ渡った。
4カ月後、旧市場の22店が共同仮設店舗で営業を再開。鶏肉店を営んでいた小畑泰枝さんは「周りに店はなく、被災地見物のお客もいて、あの頃はまだ良かった」と述懐する。
その後、共同スーパーもできたが、高齢などを理由に、再建をあきらめる店主が相次いだ。区画整理で道幅は広がり、仮設店舗があった場所も公園となった。商いのまちは、その姿を大きく変えた。
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地区内に数百人はいた借家人は区画整理事業の対象外で、大半が地区外に避難したまま戻らなかった。借家人が優先入居できる「受け皿住宅」も整備されたが、入居した元住民は数世帯だった。
人口の激減に加え、近年は近隣に大型店が相次いで開業。にぎわい復活への道のりは平たんではない。今も営業している小畑さんは問い続ける。
「まちは人が居てこそ。必要だったのは公園や道路だったのか」
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激しい揺れが人々から住まいや生活を奪い、昔ながらの味や人情あふれるまちを破壊した。阪神・淡路大震災から20年目。統計資料に残る人口の変遷は、復興の歩みとまちの変貌を物語る。激変をくぐり抜けてきた八つの地区を歩き、復興まちづくりの実像に迫る。(森本尚樹)
2014/6/19