「靴のまち・長田」を印象づけるケミカルシューズ産業会館(神戸市長田区大橋町3)。阪神・淡路大震災で一帯は炎に包まれた。
同町を含む「大若(おおわか)3・4」地区は復興再開発事業が実施され、移転した同会館の1階に、被災した靴素材卸「丸増(まるます)商店」が入る。
「まちも、業界も、震災ですっかり変わってしまった」。増田道治社長(75)は話す。
同地区では、マンション開発が相次ぐ。昨年11月、7棟目の分譲マンションが完成。神戸市から用地を買い取った企業が開発し、ほぼ完売した。新長田駅の南側で商業施設などが集まる「駅近(えきちか)」の人気は高い。今年3月にも、別の用地の売却が決まった。
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震災前は、素材、裁断、縫製などシューズ製造の各工程を担う町工場が集まっていた。「町中にゴムのにおいがしていたよ」。増田さんは懐かしむ。
喫茶店があちこちにあり、工場労働の担い手だった女性たちが息抜きをした。問屋も集まり、全国からバイヤーがやってきた。11年前までそば店を営んでいた中村専一さん(74)は「客の半分は外からやった。ケミカルが人とお金を呼んでいた」と振り返る。
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震災前から中国製品に押され、苦境にあったケミカルシューズ業界。震災で工場は転出し、一部のメーカーや問屋は中国に渡った。取引先を失った多くの下請け業者が廃業を余儀なくされた。
中村さんらは地区の一角に問屋を集める復興案を市に出したが、実現しなかった。残った関連業者は増田さんらわずかとなった。
現在は多彩な素材を駆使したファッションシューズに活路を見いだす。増田さんは「苦境を乗り越え、進化できた」と前を向く。
一方、中村さんは西宮市に転出し、三田市で養蜂業を営む。
「住む人と働く人が一緒なのが、新長田の魅力。未練はないよ」
長屋や町工場などがひしめき合った古い街も、焼け野原も、もう想像できない。
(森本尚樹)
2014/6/21