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ポートアイランドの神戸学院大に勤める前田緑さん。学生の相談役にもなっている=神戸市中央区港島1(撮影・三浦拓也)
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ポートアイランドの神戸学院大に勤める前田緑さん。学生の相談役にもなっている=神戸市中央区港島1(撮影・三浦拓也)

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ポートアイランドの神戸学院大に勤める前田緑さん。学生の相談役にもなっている=神戸市中央区港島1(撮影・三浦拓也)

ポートアイランドの神戸学院大に勤める前田緑さん。学生の相談役にもなっている=神戸市中央区港島1(撮影・三浦拓也)

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 出発ロビーのテレビは、土砂で埋まった広島の町と「死者40人」のテロップを映した。

 8月22日、神戸空港。神戸学院大学(神戸市)実習助手の前田緑(28)=同市西区=は飛行機に乗り込んだ。広島。豪雨に見舞われた丹波。気になって仕方ない。

 向かった先は東日本大震災で被災した宮城県。学生らと石巻市の仮設住宅を訪ねた。「この先、どうなんのかな。不安だねえ」。お年寄りがこぼす。

 そうだ、ここは被災地だ。背筋がすっと伸びる。前田にとって、一度は離れた世界に再び立った瞬間だった。

     ◇

 2002年に誕生した兵庫県立舞子高校(同市垂水区)環境防災科、略して「環防(カンボー)」。阪神・淡路大震災の復興の象徴とされた。

 前田はその1期生。「とにかく動け」。当時の同科長、諏訪清二(54)=現松陽高教諭=に背中を押され、水害の豊岡市で泥かきをし、新潟県中越地震の仮設住宅を訪れた。

 同じ1期生女子に親友がいた。阪神・淡路で母を亡くし、防災を学ぶ。そんな彼女は何かと注目され、前田はいつも傍らにかばうように立っていた。

 ある行事で彼女が語った。「なぜ、母は死ななければならなかったのか」

 3年間、濃密な時を過ごした前田は一つの思いに至る。「知識や備えがあれば、失われない命がある」

     ◇

 いったんは区切りを付けたはずだった。

 神戸学院大でも防災教育のゼミに所属したが、就職は「地元で安定した」JA。金融業務を覚え、日常に満足していた。

 しかし、東日本大震災の直後、心がざわつき始める。続々と被災地入りする高校の後輩。無力感が募った。

 胸のつかえを吹き飛ばしたのは、小さな挑戦だった。震災翌年、支店の事業として、保育園で災害ゲームを教えた。

 「地震がきたら、頭に手を当てて机の下に入ってねー」「グラグラグラ…どーん!」。懸命に机に向かう子、泣きだす子。

 〈(活動は)子どもたちの印象に強く残り、いざというときに命を守ることにつながると考える〉。活動リポートは、決意表明と化した。今年3月に退職。母校の社会防災学科で教授や学生をサポートする。

     ◇

 転身に猛反対した母に何度か問われた。

 「なぜ、あなたがやらなあかんの」と。

 自分でもうまく説明できない。理系の知識? ない。深刻な被災経験? ない。でも、例えば。高校の親友。「広島、大変ね」と顔を曇らせる宮城の被災者。繰り返す悲しみにあらがいたい。

 目標は小学校教諭。「子どもたちに地道に、しつこく教える。それが私の目指す防災」

 12年前、あの教室でまかれた種。今、ゆっくりと芽吹き始めた。

=敬称略=

(宮本万里子)

     ◇

 「防災を学ぶ」とはどういうことだろう。その問いに答えを探し続けるのが舞子高校環境防災科だ。20代後半になった1期生や震災後に生まれた在学生、模索を続ける教師らの日々を追う。

     ◇

【環境防災科(環防)】 1995年1月17日に起きた阪神・淡路大震災の教訓を生かし、発信するため、兵庫県が全国で初めて高校に設けた専門学科。2000年3月、舞子高校(神戸市垂水区学が丘)への設置が決まり、02年4月に1期生が入学した。入試は推薦のみで全県から受験できる。現在、1学年6学級が普通科で、環防は1学級のみ定員40人。

2014/9/1
 

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