阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた神戸市長田区菅原通。新しいビルに囲まれて、ケミカルシューズ加工会社「シマモト」の工場はたくましく立つ。
揺れに耐え、火を免れ、父が「負けられへん」と再起を誓ったこの工場で、兵庫県立舞子高校(同市垂水区)環境防災科(環防(カンボー))卒業生の島本一志(27)は働く。
父から、街の惨状や復興の様子をよく聞かされた。人や町を救う消防士になりたい。目標を抱き、開設されたばかりの環防に入学した。
震災の被害、遺族の悲しみ、救助や救出の限界。学べば学ぶほど、「災害の怖さ」が心に刻まれた。同時に「命をかける覚悟は持てない」と感じた。
父の工場で働き始めたころ、揮発性の溶剤が発火したことがあった。「工場が燃える…どないしょう」。一志はぼうぜんとし、立ちすくんだ。ベテランの職人が手際よく消火器で消し、怒鳴った。「防災科やろ!」。返す言葉はなかった。
3年前、妻花奈(30)と結婚した。10月には子どもが誕生する。また一つ、大切な存在が増える。
「消防や防災関連の仕事で活躍する同級生の近況を聞くとうらやましい」と苦笑い。「でも、僕は、工場や家族、手のひらにある宝物を何としても守りたい。高校時代があったから、より強くそう思う」
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「会議の準備、お願い」
兵庫県内の病院。電子カルテを導入するIT企業社員の山本真巨(まみ)(27)=尼崎市=は、てきぱきと後輩に指示を出す。
一志と同級生。幼いころから、人前に出るのは苦手だった。自分を変えたいと、環防に入学。当時の環防科長、諏訪清二(54)は「前へ出ろ」と生徒たちを鼓舞し続け、山本もいつしか“リーダータイプ”になった。
自社の製品の良さを伝え、新しい仕事につなげる。全国を飛び回る毎日の中で実感する。動かなければ物事は進まない。諏訪の言葉は今も自分の背中を押す。
「自分にできることを知り、自分で考え、依存することなく動く。その力がないと自然災害に立ち向かえない」と諏訪。「専門家にならなくていい。培った力を一市民として発揮してほしい。それこそが防災だ」
あのころ、教壇から発したメッセージは、社会人となった教え子の日常に生きている。
=敬称略=
(宮本万里子)
〈メモ〉
OB活動 卒業生の活動団体として、防災教育を広める「SIDE(サイド)」や災害被災地支援などを掲げる「防災・減災活動推進団体with(ウィズ)」が発足。一般企業に勤めるOBらも参加している。
2014/9/6