「僕、『Be-Lifeアンドー』の安藤の孫です」
おずおずと名乗り出たのは、兵庫県立舞子高校(神戸市垂水区)の安藤知貴(2年)。野田北部まちづくり協議会(同市長田区)事務局長の河合節二(53)が破顔した。
「おお、安藤さんとこの!」
7月上旬。同高環境防災科、略して「環防(カンボー)」2年の38人が長田の町歩きに臨んだ。阪神・淡路大震災で約9割の建物が全半壊したJR鷹取駅南の野田北部地区。地元住民と歩き、被災状況や復興の過程を学ぶ授業だ。
知貴にとっては懐かしい場所だった。祖父の三郎は鷹取駅前で電器店「Be-」を営んでいた。小学2年の時に三郎が70歳で亡くなるまで、知貴は垂水区の自宅から毎日のように店を訪れ、近くの大国(だいこく)公園で暗くなるまで遊んだ。
阪神・淡路の2年後に生まれた知貴。復興して美しくなった町の姿しか知らない。
店は全壊は免れたが、シャッターがこじ開けられ、電池やラジオが盗まれた。三郎や父の省三(49)からそんな話を聞いたこともある。でも、気に留めたことはほとんどなかった。
◇
「きれいごとだけでは済まないこともある。今も、もがきながら生きているんや」
案内役の河合が生徒に語り掛ける。土地区画整理事業をめぐり、住民同士が対立したこともあった。知貴がよく知るはずの町が、全く違う顔をのぞかせる。
環防の生徒たちは、阪神・淡路にじっくりと向き合う。2002年の学科創設当初は肉親を亡くした生徒もいたが、今は3学年全員が震災後の生まれ。授業では、消防士や自衛隊員、被災者を招き、当時の空気、生の声にできる限り多く触れるようにしている。
「うわ、めっちゃ懐かしい」
三郎の電器店に差しかかり、知貴が声を上げた。ここに来るのはほぼ10年ぶり。賃貸に出され、さび付いたシャッター。「もっと大きい店やと思っててんけどなあ」
あの時、店は、家族は、町は、どんな様子だったのか。震災は何を奪い、何をもたらしたのか。
「じいちゃんが生きてたら、聞いてみたいことがたくさんある」
知貴は今、まっさらな気持ちで、震災を見つめ始めた。
=敬称略=
(黒川裕生)
【阪神・淡路大震災の学習】 人命救助や復旧作業を担った人たちを招いて話を聞いたり、1月17日前後にメモリアル行事を開いたりするなど、「原点」である震災の継承に努める。卒業前には必ず、自分や親、親族らの震災経験をつづる。
2014/9/3