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(3)生きているんだから大丈夫よ 神戸市長田区 山根ミヤ子さん(89)=無職
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空へ続くように焼け残った階段=神戸市長田区(撮影・安水稔和さん)
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空へ続くように焼け残った階段=神戸市長田区(撮影・安水稔和さん)

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 自宅から見えた街の煙は、遠い日の戦争の記憶と重なった。

 「私らの世代はみんなそう。焼け野原になった長田は、まるで空襲後のようだった」

 子ども3人は独立し、神戸市長田区雲雀ケ丘で夫と暮らしていた。自宅は無事だったが、家を失った人のつらさは身にしみた。「私も2度、焼け出されたから」

 18歳のとき、兵庫区と須磨区で神戸空襲に遭った。2度目、降り注ぐ焼夷(しょうい)弾から逃げようと防空壕(ごう)を出たとき、もんぺの裾をつかまれた。「みやちゃん、助けて」。赤ん坊を背負った近所の女性だった。綿入れの羽織には火がくすぶり、顔は焼けただれていた。赤ん坊の泣き声はなかった。

 「自分のことだけで精いっぱいで、振り切って逃げた。よくしてくれたおばさんだったのに。誰にも話せなかった、心の傷」

 50歳を前に始めた詩作の根本には、反戦への強い思いがある。

 〈軍からひとひらの紙切れに戦死と書かれていた/それだけのことで信じる事ができますか!〉(1994年8月13日付「あの日」)

 兵庫区で被災し、一昨年に逝った友は、仮設住宅でも夫の陰膳を上げ続けていた。

 毎夏、終戦の詩を詠(よ)みながら思うのは、長屋の隣同士で暮らした「二つ三つ上のお兄ちゃん」。出征後の安否は分からない。

 「当時はお兄ちゃんのお嫁さんになるんやと思ってたから、今でも老人ホームに行くとつい、同じ年ごろの男性が寝ている部屋の名札を確認している。心に美しい思い出のままの人がいるって、良いものよ」

 終戦直前に父が病死し、粗末なバラックで母と暮らした。間もなく、復員した男性と19歳で結婚。戦後の苦難の中、母子を食べさせてくれた夫と、今も元気に寄り添い暮らす。

 詩は、戦災をくぐり抜けた者からのエールだ。「助かった命を大事にしていれば、いつかはつらかったことも話せるようになるからね。だから大丈夫よ、大丈夫よ」と。(松本寿美子)

2015/1/6
 

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