「いつでも会えると思い別れた人と、二度と会えなくなってしまった経験は多くの人にあると思う。ただ、震災は暴力的だった」
詩の中のおっちゃん、おばちゃんは、幼いころからなじみだった乾物店の50代の夫婦。倒壊家屋の下敷きとなり、帰らぬ人となった。
神戸市生まれ。25歳で結婚するまでの日々を過ごした。「あの日」「あの一瞬」は、嫁ぎ先の淡路島の自宅で経験した。激しい揺れ。ニュースで神戸の震度に驚いた。元町の実家に電話したが、通じぬまま不安な一日を過ごした。実家は半壊だったが、幸い両親は無事だった。子供が幼く、ようやく古里を訪ねることができたのは3カ月後だった。
壊滅した三宮や元町の姿に衝撃を受けた。かつて勤務した灘区の会社も全壊。三宮で学生時代に常連だった喫茶店を探したが、ついに見つけられなかった。震災は青春の記憶の詰まった風景の数々を奪い去った。「故郷が街ごと空へ昇ってしまった気分だった」。心情を、乾物店の夫妻の死と重ね、一つの詩にまとめた。
乾物店へは、小学時代から買い物で通った。おばちゃんはいつも笑顔でおしゃべり。結婚後も市場を訪ねると「元気してる?」と声をかけてくれた。帰郷を実感させてくれる人だった。
最後に顔を合わせたのは震災前の12月。「正月には帰ってくるん? またおいでな」。言葉が耳に残る。店跡はその後更地になった。〈何もかも新しくなるは悲しかり更地ばかりとなりし故郷!〉。そんな短歌も詠んだ。
この20年。東日本大震災などいくつもの天災があった。南海トラフ地震も切実な問題だ。「災害はいつでも起こりうると、胸に刻み続けた歳月だった」
なぜ詩を書くのか。「震災詩は魔法のランプのようなもの」と語る。ランプの煙に浮かぶのは、震災前の失われた街だ。二度と戻れぬ神戸へと帰りたい思いに駆られ、言葉を紡ぐ。「あのころ」の街も人も心の内に生きていることを確かめるために。そして、「この先へ」と進んでいくために。(堀井正純)
2015/1/10