「僕にとって詩は育児日記」。本紙詩壇へ投稿して7年。いつも一人息子の成長をつづってきたが、この時だけは見知らぬ東北の男性のために書いた。
東日本大震災からひと月ほど過ぎた夜のニュース番組。津波で家も家族も失った50代くらいの男性が「頑張ります」と言った。伏し目がちに、前向きな言葉を継ぐ彼は最後につぶやいた。「何のために頑張るのかな」
「絶望の深さを感じて言葉では励ませないと思った。それでも、何か言葉を掛けたい」。鉛筆で一気に書き上げた。
阪神・淡路大震災では、自宅兼和菓子屋が落ちた電化製品や食器でぐちゃぐちゃになり、ガスも水道も止まった。「でも家や家族は無事だった。被災者とは言えない」。父親は餅や赤飯を大量に作って翌日から店を開けた。自身も修業先の明石の和菓子屋へ通い続け、仕事が終わると水くみに奔走した。
「テレビ画面に映る東北の光景は、当時の神戸を思い出させた」
阪神・淡路の翌年に跡取りとして店に戻り、2年後に結婚。2004年には長男を授かった。一方で、震災を機に常連は次々と引っ越していき、店を構える商店街も衰退の一途。売り上げはなかなか回復しないが、踏ん張り続ける毎日だ。
仕事に追われ/僕が心の余裕をなくしそうになると/決まって息子が(略)僕に言う/「おとうさん、(略)わらってよ」/(略)僕は常々思っていた/息子には/ささやかなこと ありふれたことに/幸せを感じられる人間に/なって欲しいと/だけど 僕は既にそれを/息子から教わっているのかもしれない(14年2月17日付「わらってよ」)
目の前の暮らしで精いっぱいだったこの20年。東北の被災地のためにできたことと言えば、店に募金箱を置いたくらいで心苦しい。一方で「うちの饅頭(まんじゅう)が一番おいしいと言ってくれるお客や息子がいる」。ささやかな幸せはどんな時もそこかしこにある。
東北の彼は今、どうしているだろうか。「ビールを飲んでうまいと思えるくらいの心を取り戻せていたらいいなあ」(坂口紘美)
2015/1/13