震災後しばらく、自宅や職場近辺の避難所を訪ねて友人を励ましていた。3年目の秋。加古川市の仮設住宅に移った中高年女性から電話がかかる。見知らぬ土地での1人暮らし。不安な老後。「神戸へ帰りたい。けれど…」。兵庫区の家を失った女性に帰る場所はなかった。そんな被災者の声をすくい上げたのは、震災前から書き続けてきた詩だった。
職場は兵庫区の下沢通。出入りしていた知人に勧められ、40代後半になってから詩を書き始めた。見聞きしたできごとに垣間見える人の優しさや温かさ。そこにほっと感じ入る自分。そんな詩のスタイルが、震災で変わっていく。「避難所をまわるうち、頑張っている人に頑張ってと声を掛けることがきつくなった。詩が新聞に載れば、言葉で励ますことができる」。詩を書くことに意義を感じ始めた。
自らの震災被害は小さくない。新築2年だった自宅は筋交いが破断。「買ったばかりの家を全壊と宣告されるのはつらい」と、半壊の判定にしてもらったという。それでも、住む家があり、家族が無事だったことに申し訳なさを感じた。
Tさんは住宅が当たった/私は又も落選……/病院にもいっしょに行ってもらわれへん(略)私、あんたを頼りに生きてきたのに(略)当選発表の知らせは/又、新しい悲しみを生み出していく日でもある(1998年4月14日付「どないしょう」)
避難所で助け合ってきた高齢者の明暗。その現場を見るのはつらかった。詩に書き留めてきたのは「どないしょう」「帰りたいけど帰れない」というどこにも届かない被災者の声だった。「他人の声を書いてもいいのかという思いはあったけれど、届かない声を書く意味は大きい」と思う。
近年は震災に関わる詩作が減り、書き続ければいいのか、減っている現状を受け入れてもいいのかは分からない。しかしゼロにはしない。1月17日は被災者の声を思い起こす原点だから。(吉本晃司)
2015/1/17