海手の埋め立て地は、震災後、ガレキ置き場となった。倒壊家屋の廃材を載せたダンプが列をなした。布団や畳、人形…。トラックの荷台からさまざまな日常の断片が転がり落ち、道筋に散乱した。それが「人間の生活のはらわた」に思えた。埋め立て地の無残な、荒涼たる情景を伝えようと、詩につづった。
ガレキの山。その変化を約1年、朝夕の工場への通勤時に見つめ続けた。廃材を焼いているのか、春の空に薄茶色の煙が絶え間なく上がった。冬、雪がその山を包み覆い隠すこともあった。〈白い雪が/泣く子を寝かしつけるように/やさしくやさしくふりつもり/真っ白な山脈になって/その日一日/やすらかに眠っていた〉
「ヒマワリ」は1995年夏の情景。人々の悲嘆や怒り、無念の思いを積み上げたようなガレキの山に、生命力に満ちた植物が背を伸ばした。〈大きな大きな花を咲かせろ〉。「再生」への祈りや願いを込めた。
「もう20年? 早いなあ。昨日のことみたいにも思う」。震災翌年、工場を辞め、妻と一緒に自宅兼店舗の喫茶店を本格的に始めた。今も常連客相手に店を開け、世間話に耳を傾ける。「今もお客さんとふとした折に震災の話になる。それだけ多くの人の人生にかかわってるんやね」
「あの日」の記憶は鮮明だ。激しい揺れに、とっさに隣に寝ていた妻を守ろうと覆いかぶさったおかげで落下したタンスの直撃を免れた。家族は無事で、自宅は半壊判定だったものの倒壊はしなかった。そんな自身の体験を小冊子にまとめた。「ヒマワリ」など震災詩17編を小さな詩集にも編んだ。
震災の記憶が、遠い日のものになっていくのは悔しい。災害直後、過酷な状況下で、多くの人々が互いをいたわり、思いやりを示した。「あのときの助け合う精神はどうなったのか」。震災という悲惨な経験を経て、社会は良くなるとの希望を抱いた。「でも今は利便性や効率、経済優先ばかり」。現状に歯がゆさを覚える。「この先の孫らの時代が心配。人間、大丈夫か?とも思う。それでも人間を信じたい」(堀井正純)=おわり=
2015/1/18