
播磨造船所で行われた「イースタン・ショアー」の進水式。船鉄交換で米国に引き渡された(1918年8月)
その日、夜7時になっても神戸はうだるような暑さだった。1917(大正6)年9月1日。湊川公園を埋める1万人超の市民を前に、神戸市議会議長の太田保太郎が叫んだ。
「わが国は米国と常に友好関係を続けてきた。しかし、米国は鉄の供給を止めた。これは日本外交が軟弱だからだ。神戸市にとって鉄禁輸は死活問題。世論を喚起したい!」
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