北播

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「記事になったことをつゆさんも喜んでいるのでは」。仏壇の前で手を合わせる阿江つゆさんのやしゃご、克彦さん=加東市
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「記事になったことをつゆさんも喜んでいるのでは」。仏壇の前で手を合わせる阿江つゆさんのやしゃご、克彦さん=加東市
美しい下滝野周辺の夜景。空襲に備える灯火管制はない=加東市光明寺から望む(撮影・中西大二)
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美しい下滝野周辺の夜景。空襲に備える灯火管制はない=加東市光明寺から望む(撮影・中西大二)

■奪われた命、胸に刻む

 1945年7月24日昼、加東郡(現兵庫県加東市)下滝野。鶉野飛行場から向かってきた米軍機が投下した破砕爆弾は、弧を描いて集落に落ちていった。

 数秒後、電波を出す「VT信管」が地上との距離を察知。人々の直上で、爆弾が破裂した。

 数え切れない破片が、四方八方に飛び散り、民家のかやぶき屋根を貫く。中にいた田中とみゑさん=当時(52)=の頭部に破片が直撃した。

 知らせを聞き、勤務先の織物工場から走って帰宅した娘のたね子さんは「頭の中が見えているような」母の姿を見ることになった。

 自宅にいた阿江つゆさん=同(75)=も被害を受けた。ほぼ即死だった。家族にはこう伝わる。

 「背中から胸にかけ、破片か銃弾が貫通していた。おなかには、どんぶり大の穴がぽっかりと開いていた」

   ◆

 この時期になると、テレビや新聞で毎日「数字」を目にする。広島原爆の死者、14万人。長崎原爆の死者、7万人。太平洋戦争での日本の戦没者、310万人。神戸空襲では、7千人を超える市民が亡くなった。

 だがその数字を見るとき、一人一人に思いをはせている人間は、どれくらいいるのだろうか。

 ナチス・ドイツのホロコーストとソ連の人工飢餓などにより、中東欧で1400万人が虐殺されたことを明らかにした米国の歴史学者ティモシー・スナイダーは、著書「ブラッドランド」でこう訴える。

 われわれは死者の数を集計するだけではなく、犠牲者ひとりひとりを個人として扱い、向き合うことができなければならない。〈中略〉(ホロコーストで殺された犠牲者の数を)570万という抽象的な数と見てはいけない。1×570万と考えるべきなのだ。

 下滝野で確認できた死者は2人だけ。原爆やほかの大空襲に比べれば、圧倒的に少ない。

 だが、2人には「田中とみゑ」「阿江つゆ」という名前があり、それぞれに家族や友人がいて、苦しい戦時下を生き抜こうとしていた。

 記者はこの先、2人の名前を胸に刻んで生きていく。数百万人の犠牲者それぞれに、かけがえのない人生があったことを、忘れないために。(杉山雅崇)

=第2部おわり=

知られざる空襲・第2部(5)三田の悲劇 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
知られざる空襲・第2部(4)5歳児の恐怖 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
知られざる空襲・第2部(3)鮮烈な記憶 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
知られざる空襲・第2部(2)たんすの傷跡 昭和20年7月24日【加東・下滝野】
知られざる空襲・第2部(1)体験者の証言 昭和20年7月24日【加東・下滝野】

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