現在のフラワーロードを流れる濁流。三宮のメイン道路が川となった。左上隅はそごう神戸店。右奥は海岸通方面=昭和13(1938)年7月4日もしくは5日、神戸市

 神戸・阪神間を襲った自然災害として昭和初期の阪神大水害は、後年の阪神・淡路大震災と並び、人々の記憶と記録に深く刻まれている。

 1938(昭和13)年、5月から長雨続きの神戸・阪神間で7月3~5日、年間降水量の3分の1に達する集中豪雨があり、複数河川で岩や倒木混じりの土石流が発生、周囲は泥の海になった。死者・行方不明者が約700人、被災家屋約12万戸。阪神大水害だ。

 7月5日の神戸新聞は被害を7面で紹介している。1面には海軍航空隊が「爆弾の雨を降らせた」中国・南昌の記事。前年の盧溝橋事件以降、日中戦争は泥沼化し、この年の春に国家総動員法が制定されたばかりだった。