連載・特集 連載・特集 プレミアムボックス

第2部 都市のモザイク

  • 印刷

 神戸の神社に古くから残る風習。疫病退散のためにキュウリを供える祇園神社(兵庫区)の祇園まつり、紙にけがれを移す長田神社(長田区)の大祓式、夏の間の無病息災を願う三石神社(兵庫区)の茅の輪くぐり。街の中で、信仰は今も息づく。

【2】祇園さん 夏越しのキュウリ
本殿前に奉納されたキュウリ。それぞれの願いを胸に手を合わせる=神戸市兵庫区上祇園町、祇園神社(撮影・大山伸一郎)
本殿前に奉納されたキュウリ。それぞれの願いを胸に手を合わせる=神戸市兵庫区上祇園町、祇園神社(撮影・大山伸一郎)

 提灯(ちょうちん)の下に、見慣れぬ供え物がある。

 半紙で巻かれ、紅白の水引で一結び。中から顔を出すのは、あれキュウリか。

 神戸市兵庫区の山裾にある祇園神社。「平野の祇園さん」の名で親しまれる。今年も13日から8日間開かれた「祇園まつり」。100近い露店が軒を連ね、大勢の参拝者でにぎわったが、隠れた主役がキュウリだ。家族の人数分を供え、半紙に名前、性別、干支(えと)、年齢を書いて夏を健康に過ごせるように祈る。

 御神紋の「五(い)つ木瓜(もっこう)」が輪切りのキュウリと似ていることから供えるように。氏子は祭りが終わると斜めに切って食べる。神紋を口に入れるのは畏れ多いと思いきや、斜めなら禁忌に触れない、との柔軟さだ。

 娘の分と2本供えた女性(75)は「猛暑を乗り切るには、やっぱりキュウリでしょ」。

 食べて、疫病退散。これも祇園信仰。

平清盛が愛した平野の地
昭和38年の祇園まつり。参拝者が有馬街道の平野交差点にあふれている=神戸市兵庫区(平野商店街振興組合提供)
昭和38年の祇園まつり。参拝者が有馬街道の平野交差点にあふれている=神戸市兵庫区(平野商店街振興組合提供)

 7月といえば祇園祭。でも、それは京の専売特許ではない。

 神戸・平野の有馬街道沿い。「平野の祇園さん」は、88段の急な石段を上った先にある。祇園まつりの期間中、11町の氏子たちはこの石段を何度も上り、お札売りや防犯の当番をするなど神社の夏祭りを支える。

 「子どものころは、露店が楽しみで1日に3回行きよった。クワガタ売りに夢中でな。もう石段を上がれんぐらいになるまで通った」。地元で酒・食料品店を営む小林二郎さん(81)が懐かしむ。

 市電の始発・終着点だったことから、年配の人は今も平野を「終点」と呼ぶ。昭和30年代には、祭りになると、参拝者が終点を目指して押し寄せた。夕方には有馬街道は通行止めとなり、人々は夜を徹してそぞろ歩きを楽しんだ。

 路地をたどれば、「上祇園町」や「下三条町」「雪御所(ゆきのごしょ)町」といった住所表示が目に入る。この地を愛した平清盛は1180年、京都から福原に都を移す。わずか半年だったが、町名が栄華の名残を伝える。

 祇園神社の創建はさらに古く、貞観(じょうがん)地震があった869年。京都で大流行した疫病を鎮めるため、姫路・広峯神社から京都・八坂神社へ素戔嗚尊(すさのおのみこと)の分霊を運ぶ途中、1泊したのが平野の地とされる。

 その八坂神社も、神紋がキュウリに似ていることから、祇園祭の間、氏子はキュウリを避ける。供えることはおろか、食べることもしない。

 「平野は近くに荒田(あらた)という地名がある。夏に川が氾濫して田が荒れ、疫病に苦しんだ歴史が関係しているのでは」と中島憲司宮司(44)。キュウリの空洞に災いを閉じ込める-との意味を込め、いつしか供えるようになった。供え終わると川に流していたが、やがて土に埋めるようになり、今は当番を務めた氏子に手渡すという独自の発展を遂げた。

 当番を終えた夜。氏子たちは「斜めに切ってください」との教えを受け、持ち帰る。サラダにしたり、酢の物にしたりして食べる。

造船所に生えるチガヤで茅の輪
6月にあった進水式神事。三石神社の宮司が執り行ったのは約2年ぶり=神戸市兵庫区吉田町3、金川造船
6月にあった進水式神事。三石神社の宮司が執り行ったのは約2年ぶり=神戸市兵庫区吉田町3、金川造船

 「水無月(みなつき)の 夏越(なご)しの祓(はら)へする人は 千歳の命 のぶといふなり」

 今月17日。造船所が多い和田岬にある三石(みついし)神社(神戸市兵庫区)で、和歌を唱えながら茅(ち)の輪をくぐる行事があった。おはらいと同じく、左、右、左と3回くぐり、疫病退散と夏の間の無病息災を願う。

 茅の輪を作るチガヤは、主に近くの三菱重工業神戸造船所で生えているものを使う。船との関わりが強い同神社は新造船の進水式神事も執り行うが、阪神・淡路大震災後は激減。小林友博宮司(68)は「地域の活気を取り戻すためにも、茅の輪をくぐってほしい」と話す。

 紙に半年間のけがれを移し、無病息災を祈る大はらえがあったのは長田神社(神戸市長田区)。6月末、氏子ら約20人が、人形(ひとがた)に息を吹きかけ、体にさすりつけた。神職が回収し、神社前の苅藻川に1、2枚を流す。主婦(57)は「自分を見つめ直すきっかけに」と毎年欠かさず訪れる。

 身と心を清め、夏を乗り切る。大都市の真ん中で、信仰が息づく。

好きな露店を尋ねると
いか焼きのにおいが立ち込め、くじ引き店から呼び込みが聞こえる。夕暮れ時、祇園まつりが華やぐ=神戸市兵庫区上祇園町
いか焼きのにおいが立ち込め、くじ引き店から呼び込みが聞こえる。夕暮れ時、祇園まつりが華やぐ=神戸市兵庫区上祇園町

 再び、祇園まつり。子どもみこしが始まった。太鼓を2回、そして「ワッショイ」。ゆったりとした響きが平野の町並みに溶け込む。

 2年前、平野など近隣の4校が統合され、神戸祇園小学校になった。みこしを見守る平野小卒業生の男性(69)は「私のころは1学年に10クラスほどもあった。人数が多くて、みこしを担がせてもらえなかったのにね」と寂しげだ。

 数は減ったが、祭りを心底楽しむ姿は今も昔も変わらない。太鼓を担いだ男児(12)に好きな露店を尋ねてみた。「えっと、いか焼きと…キュウリの一本漬け!」

 なるほど、切らずに丸ごと食べればいいんだ。キュウリ信仰は、しっかり受け継がれている。(記事・上田勇紀、写真・大山伸一郎、大森武)

【茅の輪くぐり】
神戸新聞NEXT
神戸新聞NEXT

 一説では起源は次の故事に基づく。蘇民将来(そみんしょうらい)、巨旦将来(こたんしょうらい)という兄弟にスサノオノミコトが宿を求めた。弟の巨旦は裕福でありながら宿を拒む。貧しい兄の蘇民は泊めてもてなした。スサノオは大いに喜び、後年、蘇民の家を訪れ、一家に茅の輪を着けさせた。そして、神力で巨旦を滅ぼした。茅の輪を着けていた蘇民家は後々まで栄えたことから、茅の輪をくぐる風習が生まれた、とされる。

天気(9月30日)

  • 24℃
  • 21℃
  • 60%

  • 24℃
  • 17℃
  • 60%

  • 26℃
  • 20℃
  • 30%

  • 27℃
  • 18℃
  • 60%

お知らせ