第2部 都市のモザイク
下町風情の残る神戸市長田区の六軒道商店街かいわい。8月23日は年に1度の地蔵盆とあって、子どもたちが集まった。お菓子を振る舞う「お接待」を目当てに地域をまわる。地蔵の前のお好み焼き店からはソースの香りが漂ってきた。
世話ができなくなった地蔵は寺に返すという風習がある。神戸市須磨区の須磨寺の一角には、持ち込まれた500体近くの地蔵が所狭しと並ぶ。阪神・淡路大震災後、急に増えたという。

強い日差しが、乳白色の体を引き立てる。その脚に、不釣り合いな灰色の布が幾重にも巻き付く。
幹線道路沿いに鎮座する長田神社(神戸市長田区)のこま犬。巻かれているものは手ぬぐいが多く、中には手でなったと見える縄やビニールのひももある。一対、計4本の脚に数十はあるだろうか。
子どもの行方を捜す親が、「足止め」の願掛けで結わえたものらしい。子が無事に帰ってきたら、外すのが習わしという。
神社が布を処分したことはない。「ほどいたら、親御さんの願いが消えてしまうような気がして」。禰宜(ねぎ)の佐々木知行さん(58)の願掛けかもしれない。
結び付けられた布は一様に黒ずみ、傷んでいる。風雨や排ガスにさらされ続けても、はがれまいとそこにあり続けている。
まるで子を思う親心のように。

晩夏、夕暮れ。紅提灯(べにちょうちん)がともる。大きな袋と線香の束を手にした子どもたちのはしゃぐ声が、路地のあちこちから聞こえてくる。
8月23日午後6時、神戸市長田区の六間道(ろっけんみち)商店街かいわい。きょうは年に1度の地蔵盆。子の成長と幸せを願う。小さな像を洗い清めて専用の前垂れを着せ、飾り付ける。お供えの菓子で埋もれている。
近くの真陽小学校6年、福田凛(りん)さん(11)、3年田村萌春(ののは)さん(9)ら6人が、浴衣姿でやって来た。お目当てはこのお菓子。
最初は近田幼稚園へ。お地蔵さんに線香を供え、手を合わせる。「はい、ご苦労さん」。赤木冨美子(ふみこ)園長(77)から菓子を受け取る。
笑顔もつかの間。「こっち、こっち」と6人は提灯と記憶を頼りに、混み合う路地を進み、地蔵を巡る。「大きぃなったなぁ」。行く先々で大人から声を掛けられる。
「ここら辺はね、チューペット(折るアイス)が多いの」。田村さんが笑う。地蔵ごとにもらえる菓子を覚えている。「だって生まれた時から毎年来てるもん」。福田さんも得意げだ。友達と出会うが、あいさつもそこそこに先を急ぐ。菓子を振る舞う「お接待」と呼ばれる風習は約2時間だけ。時間との闘いだ。
午後7時半、11カ所目となる六間道商店街の八家(やか)地蔵尊へ。すでに菓子はなくなっていたが、6人はそっと手を合わせた。
「いっぱいお菓子をもらって、いっぱいあいさつしたよ」。菓子で膨らんだ袋を抱え、満足そうに家路に就いた。

八家地蔵尊は1923(大正12)年ごろ、姫路市的形町の寺から町内安全を願って受けた。向かいに住む花本キミ子さん(76)ら7人が当番を組み、毎朝水や花を供える。
地蔵盆では、千人分もの菓子を用意し、「名入り提灯」をつるす。
「子どもが生まれたら、親がその子の名前を書いた提灯を作って持ち寄る。その子を抱いてお地蔵さんを7カ所回るんよ」。キミ子さんも、長男亘弘(のぶひろ)さん(36)が生まれた年に回って成長を願った。
地蔵の“はしご”は、生まれた年に限らない。通学路に、公園の傍らに、家の前に。なぜ、そこに地蔵がまつられているのか。近年、車で遠方から来る親子連れも増えたというが、世話をする人たちにそれぞれの由来を聞いてみてほしい。
「1日で70カ所は回ったかなぁ」
下町のソウルフード、お好み焼き店「みずはら」の3代目店主、水原弘二さん(60)が、「お地蔵さんのはしご」を懐かしむ。「『あそこはラムネが飲めるで』とか、友達と情報交換してたなぁ」
33(昭和8)年創業。祖母が始めた「こなもん」の味を守り続ける。名物の「ねぎすじ焼(やき)」は、生地とネギ、牛すじをあらかじめ混ぜずに焼き、素材を生かす。
「これが長田の焼き方や」。ソースの香りにのどが鳴る。胃袋がざわつく。「下町の流儀」を味わう。

阪神・淡路大震災で、長田区や兵庫区など神戸市西部は大きな被害を受けた。世話をする人たちも町を離れ、地蔵は居場所を失った。「3分の1かな」「いや、もっとや」。地元の人たちの実感だ。
世話ができなくなった地蔵は寺に返す風習がある。須磨寺(神戸市須磨区)の一角には、持ち込まれた500体近くの地蔵が所狭しと並ぶ。震災後、急に増えたという。
地域の歴史と人々の営みを見つめてきた地蔵を手放すのはつらく、悲しい。「知らないうちに置かれていたこともあったようです」。小池陽人(ようにん)副住職(30)が心中を思いやる。
形を変えて、まつられた地蔵もある。巨大な再開発事業が進められ、高層ビルが林立する神戸市営地下鉄海岸線駒ケ林駅前(同市長田区)。立派なほこらに安置された3体の「癒(いや)し地蔵尊」もその一つだ。
元は別々の路地にあり、震災後はいったん寺に預けられた。住民たっての願いでほこらが作られ、2004年からこの地で地蔵盆が続く。
世話人代表の大前雅代さん(62)は今年も、お接待に汗を流した。
「お地蔵さんに手を合わせるのはええことや。街が変わっても、伝え続けたい」
子どもは地域の宝。伝統と共に生きる幸せを感じてほしいから。(記事・小川 晶、上田勇紀 写真・大森 武)

8月24日ごろ、地域にある地蔵を飾り付け、菓子などを供えてまつる。地蔵菩薩(ぼさつ)の縁日といわれる24日と、盆の終わりだった時期が結びつき、一般化したという。地蔵信仰はインドの仏教が起源とされる。地蔵が子どもを苦しみから守ってくれるという観念が広まったことなどから、地蔵盆では子ども向けの行事が多くみられる。地蔵盆が盛んな京都では、多くの場合、参加するのは地元の子どもに限られ、「はしご」は見られないという。