第2部 都市のモザイク
夏の高校野球全国大会開幕直前、野球少年たちが素振りを奉納するのは甲子園横の甲子園素盞嗚神社。渾身のスイングに込めた熱い思いよ、届け!
勝利を願って今も宿舎に並ぶ「験担ぎ飯」。兵庫県西宮市新甲陽町の「中寿美花壇」では、ステーキにトンカツで「敵に勝つ!」。宿の熱い思いも込められている。
報徳学園(兵庫県西宮市)が考案した「サンバ・デ・ジャネイロ」を基にした応援の定番「アゲアゲホイホイ」。全国区となった応援は、今日も聖地のアルプススタンドを揺らす。

境内の大木に引っかかった黄色いジェット風船が、願掛けの短冊に見える。野球帽の少年が思い切りよく、バットを振る。
夏の高校野球の甲子園練習が始まった8月1日。球場と目と鼻の先にある甲子園素盞嗚(すさのお)神社で、野球の素振りが奉納された。
ホームベースの形をした敷石の前に立ち、1人3回ずつ。野球の上達を願い、道具への感謝を込めて。一風変わった「野球祭り」は今年、14回目を迎えた。
2002年、阪神タイガースの監督に就任した星野仙一さんが選手と参拝。翌年、18年ぶりのリーグ優勝を果たす。「野球の神様」の霊験あらたかと、真夏の神事が始められた。
武庫川イーグルスの赤石悠真君(12)は「僕、チャンスに弱いんで。強くなりたいと願い、バットを振ります」。夢は甲子園出場、プロ野球選手。祈りを込めて、フルスイング!

甲子園球場。高校球児が夢にまで見る、憧れの舞台。青春の栄光と哀歓の全てをのみ込んできた。
春夏7回出場の強豪・滝川第二高校。野球部の一年は、甲子園球場まで歩くことから始まる。1月、早朝5時に神戸市西区の同校を出発し、球場まで約50キロ。夕暮れに着くと、隣の甲子園素盞嗚(すさのお)神社で祝詞を上げてもらい、勝利を祈願する。
「甲子園は近くて遠い」。その言葉の意味を体感させようと、2011年、飯尾哲也部長(54)の発案で始まった。翌年夏、同校は13年ぶりに甲子園出場を果たす。以来、年始の恒例行事になった。
3年の真鍋大地さん(17)は「とにかく長くて。寒いのに、暑い」と苦笑いした後、続けた。「練習や試合できつい場面になると、みんなで歩ききったことを思い出します」
神社はもともと、約400年の歴史がある治水の神様。武庫川の支流だった枝川と申川(さるがわ)の三角州の要にあり、水害や疫病から村を守るためにまつられた。
93年前、すぐそばに甲子園球場ができてから、託される願いは変わっていく。「全国制覇」「甲子園出場」「一球入魂」…。いつしか「野球の神様」となり、必勝祈願の人が絶えず、ボールやベース形のお守り、タイガース絵馬などが生まれた。
「信仰は人によってつくられる。野球祭りも、高校野球みたいに100年続けば当たり前になる」。畑中秀敏宮司(62)は目を細める。
街も姿を変えた。戦前、海辺にあった「浜甲子園阪神パーク」。ゴンドウクジラが泳ぐ「くじらの池」が人気を博した。戦争の激化で閉鎖されたが、その跡地は夏の間、高校球児の応援団を乗せたバスの駐車場になる。年配の人は、郷愁を込めて「くじら池駐車場」と呼ぶ。

8月9日夜。春夏通じ甲子園初出場の山口県代表・下関国際高校の野球部員たちは、宿泊先のホテル「中寿美花壇(なかすみかだん)」(西宮市)で夕食を囲んでいた。
食卓に並ぶのは、ステーキにトンカツ。合わせて「テキにカツ(敵に勝つ)!」。初戦を4日後に控えた部員25人は、ぺろりと平らげた。主将の植野翔仁(しょうと)さん(18)は「絶対に勝とう! メニューの意味を聞き、その気持ちがますます強くなりました」と意気込んだ。
「祖母の代から60年以上続く、験担ぎです」。3代目オーナーの北垣博規(ひろのり)さん(37)は忙しそうに料理を運んだ。試合当日の朝には、祝いダイと赤飯、紅白なますを並べる。さらに目刺しで勝利を「目指し」、山芋短冊、牛乳、ヨーグルトなどの白い食材で「白星」を呼び込む。
験担ぎは球児の宿の定番だった。栄養バランスへの配慮からか、大半が姿を消したが、中寿美花壇は今も続ける。
「もちろん栄養は考慮しますよ。でも、甲子園って、気持ちの部分も大きいと思うんで」
幼いころから球児と触れ合ってきた北垣さんの心遣いが、初陣に挑むチームの背中を押す。

「アゲアゲホイホイ!」
呪文のような掛け声が、甲子園のアルプススタンドにこだまする。
乗りのいい「サンバ・デ・ジャネイロ」の曲に乗せ、メガホンを上下させて叫び続ける。今や高校野球の定番になりつつあるこの応援、実は報徳学園(西宮市)が発祥だ。
3年ほど前、DJからヒントを得た野球部員が考案した。明石商業(明石市)に伝わった後、同校は昨年春の選抜大会で初出場ながらベスト8に進出。験が良く、勢いづく応援として全国区になった。
「相手に『雰囲気変わったな』と思わせたら、こっちのもん」。報徳3年の茂野颯一郎さん(18)が“魔力”を語る。「これで点が入らんかったら験が悪い。切り札です」
言葉通り、今夏の兵庫大会では、準々決勝の市西宮戦で解禁した。1点を追う8回、茂野さんの合図で始めると、観客席は一体に。同点に追い付くと、延長10回にも叫び続け、サヨナラ勝ちを飾った。
報徳は準決勝で惜敗したが、運気を“アゲる”応援は、きょうも聖地のアルプススタンドを揺らす。
2017年、夏。今年もまた、熱いドラマが生まれている。野球の神様は、どのチームにほほ笑むのだろう。(記事・上田勇紀、金 慶順 写真・大山伸一郎)

阪神電鉄が枝川、申川(さるがわ)の廃川敷地を買収し、1924(大正13)年に甲子園大運動場として完成した。64(昭和39)年、現在の名称「阪神甲子園球場」に。高校野球の舞台であり、プロ野球・阪神タイガースの本拠地。総面積約3万8500平方メートル、収容人数4万7508人。「甲子園球場○個分」「吹奏楽の甲子園」など、甲子園を例に用いる表現も多い。阪神電鉄は2012年、「甲子園」を商標登録した。