第2部 都市のモザイク
神戸市北区大沢町上大沢のため池「皿池」で7月中旬、年に1度の「弁財天祭」が開かれた。ほこらの前で、池の水が枯れず、稲が実ることを願う。祭事後には直会もあり、住民同士の親睦を深める。
神戸市北区大沢町日西原で数珠繰りが行われた。毎年お盆過ぎに山上の観音堂に住民が集まる。先祖への感謝を込め、家内安全を願い、御詠歌を唱えながら数珠を回す。

手から手へ。13人の女性が輪になり、御詠歌を唱えながら、長さ8メートルの大数珠をするすると隣の人に送っていく。
三田市に近い神戸市北区大沢(おおぞう)町日西原(ひさいばら)、光山寺(こうさんじ)。8月18日朝、観音様をまつるお堂で数珠繰りが行われた。およそ40分。かねの音がツクツクボウシの鳴き声と重なり、山中に響く。
「今年も、ご先祖さまに感謝できましたわ」。地区の西美代子さん(84)がほっとした表情を見せた。
毎年お盆すぎのこの日、近くの人が自然に集まってくる。西さんもそんな祖母や母の背中を見て育った。近年は高齢化などで参加者が減り、昨年から二つあった班を一つにまとめた。
「いつまで続けられるかなぁ。でも地域のためにね、絶つわけにはいかんよ」
「百万遍」ともいわれる数珠繰りは、大勢で何度も回し、唱えることに意味がある。少しずつ形を変えながら、人々の心をつなぐ。

山滴る。朝日を浴びて緑に染まる池のほとり。7月15日午前8時、男性8人が集まった。
光山寺(こうさんじ)から南へ2キロ、神戸市北区大沢(おおぞう)町上大沢(かみおおぞう)のため池「皿池(さらいけ)」。緑に囲まれ、真夏でも涼しい。
この日は、年に1度の「弁財天祭」。水をつかさどる神をまつるほこらの前で、池の水が枯れず、稲が実ることを願う。
「色即是空、空即是色…」
般若心経を5分ほど唱えると、男たちは靴を脱ぎ、地面に敷かれたブルーシートにあぐらをかいた。
「きょうは、ありがとうございます。しるしだけですが」
世話人を務める辻井茂さん(68)が日本酒をつぎ、献杯の音頭を取った。サバのきずしや酢だこ、枝豆を囲んで直会(なおらい)が始まる。
集まるのは自治会長や寺総代、宮総代や水利権者ら。毎年7月15日にある祭りは代々受け継がれ、雨でも欠かしたことがない。料理や酒の準備は辻井さんの役目。祖父の代からの世話人で、台風で弁財天の屋根が池に落っこちた際には、危険を顧みず拾いに駆け付けた。
「農家にとって水は命。せやから水への思いが強いんよ」。農業の榎本茂木(しげき)さん(67)が教えてくれた。「祭りのおかげか、皿池は枯れたことがないんや」
「しるしだけ」というあいさつとは裏腹に、酒は進む。「梅、もう干してきたで」「今年は空梅雨やからなぁ」。農家の親睦会を兼ねる直会は昼ごろまで続いた。

神戸・三宮から車で40分。「神戸三田プレミアム・アウトレット」など大型商業施設に程近い、上大沢地区には約330人が暮らす。田園と山林が広がり、古くからの年中行事が残る。11日は毎月のように素盞雄尊社(すさのおのみことしゃ)で月次祭(つきなみさい)が催され、五穀豊穣(ほうじょう)を祈願する。
民間の信仰集団である「講」も、ほかの地区で多くが姿を消す中、根強く残っている。
「心のよりどころ、かな」
本年度の行事予定=表=を手に、自治会長の大家(おおいえ)重明さん(67)がつぶやく。愛宕(あたご)講に金刀比羅(こんぴら)講、行者講に秋葉講…。表には載らない小さなものも多い。正確な数は分からないが、20以上はあるという。
山中に幾つもあるほこらに集い、お参りの後で直会をする。さらに、伊勢講なら4年に1度は伊勢神宮へ、行者講なら3年に1度は奈良県の大峯山(おおみねさん)へ向かう。まつる対象は違うが、火や水、山や海などの自然を畏れ敬い、地域や家族の安寧を願う。宗派を超えた信仰が息づく。
「最初は大変やなぁて思うたよ。毎月、何かの集まりがあって」。そう話す農業の前中悠一さん(69)は約30年前、父の後を継いで講に加わった。「でも、行ってみたら、みんな知ってる顔やし。情報交換の場やな。講によってメンバーも話題も違う。だから面白いんや」。今では八つの講を掛け持ちする。現代風に言えば、クラブ活動やサークル活動のような感覚だろうか。

根強く残る上大沢でも、講は少しずつその形を変えてきた。
出雲大社をまつる出雲講。2カ月ごとに講員が持ち回りで料理を用意し、家で開くのが習わしだった。しかし、10年前には15人ほどいた講員は5人に減少。平均年齢も70歳を超え、頻繁に家でもてなすのが負担になったことから、2年前に「家回り」は廃止された。以降は年2回、地区の集会所で開いている。
「家に行って、ご先祖さんの位牌(いはい)や遺影を見ながら、『この人はああやった』とかいう触れ合いがよかったんやけどのう」。講長の大家正憲(まさのり)さん(71)はさみしげだ。
来るのが待ち遠しかった講だが、少子高齢化が進み、若い世代からは「講や行事が多すぎる」と不満も漏れる。専業農家は減り、会社勤めが増えた。人が集まらず休講に追い込まれたものもある。
正憲さんは続けた。「講の意味言うてもよう分からんけどね。これやっとうから毎年米がとれるし、孫もできた。わしはそう思うとるんよ」
先祖から受け継いだあつい信仰心が、人と地域をつないできた。のどかに見える講の里にも、さざ波が広がりつつある。(記事・上田勇紀 写真・大森武、大山伸一郎)

同じ信仰を持つ庶民の集団。伊勢神宮(三重県伊勢市)をまつる「伊勢講」や、地蔵を守る「地蔵講」、山岳崇拝を基にした「行者講」など、信仰によって種類がある。毎年決まった日に、寺や神社、当番の家に集まり、信仰対象の掛け軸を飾って祈り、会食する。都市化の進展で多くが姿を消したが、伊勢講など、農村を中心に広い地域で続けられている講もある。