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第2部 都市のモザイク

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 レジャーの印象が強い六甲山と違い、古くから修験道の地としてあがめられた摩耶山。近年はまちおこしが活発で、廃墟を巡るツアーに大勢の人が集まり、名物だった鍋料理も復活した。毎日登山や星空に願いを込める大祭など、信仰の山は今も人を惹きつける

【11】山はふるさと 渡来の風習「毎日登山」
夜明け前。つくばね寮に掛けられたタイムカードを手に取る人たち=神戸市灘区岩屋(撮影・大山伸一郎)
夜明け前。つくばね寮に掛けられたタイムカードを手に取る人たち=神戸市灘区岩屋(撮影・大山伸一郎)

 神戸では毎朝、何千という市民が一日の始まりに山へ登る。これほど健康的な習慣は、六甲という「裏山」があればこそ。

 早朝5時。小屋の入り口から蛍光灯の明かりが漏れる。市街地から30分かけ、山道を登ってきた人たちがタイムカードを手にした。

 摩耶山(神戸市灘区、702メートル)の中腹にある「つくばね寮」。現存する神戸の登山会で最も古く、95年の歴史がある「神戸つくばね登山会」の拠点だ。登った印に名前を記す署名簿に代わり、タイムカードを置いて四半世紀になる。

 毎朝、約100人が入れ替わり立ち替わりやってくる。「おはようさん!」。張りのある声で、ハイタッチ。お年寄りが目立つが、皆はつらつとしている。

 同市灘区の男性(67)が一息つく。「ここに来(こ)んと、なんかをし忘れた気がしてなぁ」

 摩耶山への“出勤”。きょうも、あしたも。

あがめられた修験道の地
夜明け前。神戸の夜景を背に、摩耶山を登る人たち=神戸市灘区
夜明け前。神戸の夜景を背に、摩耶山を登る人たち=神戸市灘区

 摩耶山。その響きに、そこはかとなく異国の香りが漂う。

 平安時代、空海が釈迦(しゃか)の母・摩耶夫人像を唐から持ち帰り、安置したことに由来する。修験道(しゅげんどう)の地としてあがめられ、再三火災に遭いながら復興を遂げてきた信仰の山は今、憩いの場として市民に親しまれる。

 「山頂まで行かんでも、1千万ドルの夜景は見られますよ」

 9月7日午前5時。神戸つくばね登山会会長の山下正弘さん(76)と青谷道を登る。夜明けが早い時期とはいえ、きつい時間だ。アスファルトが山道に変わり、急勾配に汗が噴き出す。登り始めて5分ほど。坂道から振り返ると、街はまばゆいネオンに彩られていた。

 明治時代、神戸に住んだ外国人は六甲山系を散策し、茶屋で紅茶とトーストの優雅な朝食をとった。ハイカラ好みの神戸人がその風習をまね、生まれたのが「毎日登山」だ。

 神戸つくばね登山会も1922(大正11)年9月、摩耶山に署名簿を置いて始まった。山下さんが登るのはこの日、1万5378回目。35歳のとき、会社の体力テストで最後から2番目だったことに一念発起し、ほぼ毎日欠かさない。

 標高220メートル。つくばね寮へ。空がだいだい色に染まり始めた。最年長の男性(95)も合流し、約30人でラジオ体操をする。

 登り始めて2年の女性(68)が汗をぬぐう。「山は同じ一歩がないでしょ。五感をフルに使って歩く。これが楽しいのよ」

南北朝時代、3千人の僧が修行
「四万六千日大祭」を迎えた摩耶山天上寺。深夜、僧侶とともに大勢の参列者が祈りをささげた=神戸市灘区摩耶山町
「四万六千日大祭」を迎えた摩耶山天上寺。深夜、僧侶とともに大勢の参列者が祈りをささげた=神戸市灘区摩耶山町

 「南無観自在尊(なむかんじざいそん)」

 唱える声が徐々に速まっていく。

 午前0時、摩耶山天上寺。約100人が金堂に集まり、僧侶の声に合わせて祈った。

 「仏の世界では、50年が2500年と、50倍の速さで進む。その世界に近づくため、どんどん速く唱えるのです」。伊藤浄真(じょうしん)副貫主(64)が教えてくれる。

 8月8日夜から9日にかけて催された「四万(しまん)六千日大祭」。境内には願いが書かれた灯ろうが並ぶ。この夜に願えば、1日で4万6千日分の御利益があるとされる。神戸市西区の主婦(38)は家族4人で訪れ、「子どもたちの成長を願いました」と灯を見つめた。

 南北朝時代には、3千人の僧が修行したという信仰の山。3月下旬には「摩耶詣祭(まやもうでさい)」がある。農家が家族や農耕馬の健康を願い、馬を連れて寺に参ったことに由来する。

 その日、山頂近くの掬星台(きくせいだい)で振る舞われるのが「摩耶鍋」。灘五郷の酒かすと白みそを使っただしで豚肉やサツマイモ、タマネギを煮込む。

 かつて山上のホテルや国民宿舎で出されていた料理を12年前に再現した。甘い香りにのどが鳴る。とろりとしたスープを口に運べば、滋味が広がり、体の芯から温まる。レシピを受け継ぐ飲食店経営、新(あらた)浩史さん(46)は「摩耶山らしく、深みがある。山上でないと出せない味です」と胸を張る。

山の軍艦ホテルに全国が注目
摩耶観光ホテル跡を見学する「マヤ遺跡ガイドウォーク」の参加者=神戸市灘区畑原
摩耶観光ホテル跡を見学する「マヤ遺跡ガイドウォーク」の参加者=神戸市灘区畑原

 新しい風も吹く。

 「摩耶山再生の会」が3月から始めた「マヤ遺跡ガイドウォーク」。中米のマヤ遺跡に見立て、摩耶山を巡るユニークな取り組みは、毎月定員20人の枠が1分で埋まる。

 目玉は、摩耶観光ホテル(マヤカン)跡。昭和初期に建てられたホテルは、船のブリッジを思わせるその外観から「山の軍艦ホテル」と呼ばれた。廃虚となって久しいが、建物を見ようと、全国から参加がある。

 だが、案内する同会事務局長、慈(うつみ)憲一さん(51)の狙いは、その先にある。掬星台や山中の史跡、摩耶の大杉などを巡り、ホテル跡は最後。「マヤカンはきっかけ。身近だけど奥深い摩耶山の魅力を知ってもらえたら」。思い立ったらすぐに登ることができる。豊かな自然や歴史を伝える遺構に出合える。幼いころから摩耶山を遊び場にしてきた慈さんは、大きな可能性を感じている。

 神戸には海と山がある。人はふるさとのイメージとして、不思議と山を思い浮かべる。「神戸にはまだふるさとの香りが残っている」と多くの人が感じるのも、そのせいかもしれない。(記事・上田勇紀 写真・大森武、大山伸一郎、吉田敦史)

【毎日登山】
神戸新聞NEXT
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 神戸港の開港後、神戸に住んだ外国人が毎朝、六甲山系を登ったのが始まり。日本人にも伝わり、明治末期にできた「神戸草鞋(わらじ)会」を皮切りに、大正から昭和初期にかけ、100を超える登山会が発足。山中に署名簿を置き、毎日登る習慣が根付いた。神戸愛山協会によると、主な山筋ごとに、神戸つくばね登山会や神戸ヒヨコ登山会など約20団体約2500人の会員がいる。

 =第2部「都市のモザイク」おわり=

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