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(1)コンテナ貿易 岸壁の修復もあと一歩
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”中継貨物”減に歯止めを
 阪神・淡路大震災で壊滅的な被害を受けた国際ポート・神戸港だが、わずか二年余りで岸壁などの主要施設をはじめとする港湾機能を復旧させ、震災以前の姿に戻る日が目前に迫ってきた。貨物、雇用をはじめ、観光…。港は神戸の歴史そのものであり、市民の憩いの場であり、そして交流の輪を広げる巷(ちまた)でもある。そんな港や船をこよなく愛す人たちを通し、「みなと復興」の現状を追った。神戸港は今年、開港百三十年目を迎える。年間シリーズ企画の第一弾をお届けする。

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 粉雪がちらつく昼下がり。六甲アイランドに着岸中の北米航路コンテナ船「シーランド・エクスプレス号」で荷役が進む。真っ赤なクレーンが、次々とコンテナをつかみ取っては、地上で待機するトレーラーに積み降ろす。

 米国船会社シーランド社ターミナルオペレーションマネジャーの木村正典さん(57)は「コンテナにとって陸の動脈の道路網も整い、岸壁の修復もあとひと息。ようやくひと安心」。船員時代に街の気風にあこがれ、神戸港で勤務し始めて三十四年。愛するミナトの復旧ぶりにホッとした表情をのぞかせた。

 震災で被災したコンテナ埠頭(ふとう)が仮復旧する前の一昨年三月、同社は一足早く、大きく陥没した岸壁に大型コンテナ船を神戸に呼び戻した。米軍向けの貨物を荷役する那覇港と同じ方式で、船の片側分に貨物を積み込み、トラッククレーンを使っての荷役だった。

 コンテナクレーンがないため、重たい貨物がつれない。船積みの調整、停泊時間も制限される。一カ月間にわたる変則荷役は”薄氷”の連続だった。「ハプニング続き。揚げ荷コンテナが重量オーバーで積み降ろせないことも。当時の大変さからみると今は天国のよう」としみじみと振り返る。

 震災で三十五カ所のコンテナ埠頭がすべて使用不能となった神戸港。その後の迅速な復旧作業が実り、国内一を誇ったコンテナの取扱個数の回復も進んでいる。神戸市によると、一九九六年の年間取扱量は推計で二百六万個(二十フィート換算)を超えた。二百七十万個を記録した九四年の七六%となっている。

 ただ、コンテナ貨物の復旧は順風満帆でない。震災以降、神戸港で中継し国内外の港へ運ぶ”フィーダー貨物”が大きく落ち込んだ。加えて、昨年から北米、欧州など主要ルートを大手船会社複数社が共同で運航する”グローバル・アライアンス”をスタート。神戸港のみならず日本の港に寄港する船が減った。

 シーランド社もデンマークの船会社との共同運航を始めてから、神戸へ寄港する船数が減り、フィーダー貨物が落ち込んだ。さらにコスト削減などを目的に、今年五月から従来借りていた埠頭を離れ、パートナーと同じコンテナターミナルに入居。共同運営に切り替える予定という。

 半面、同社が共同運営を行うのは、世界では米国、スペインに続き神戸が三番目。「運営効率を上げれば、拠点港となって貨物が増やせる可能性を持つ」と木村さん。

 「好きな神戸をすたれさせないためにも、これから頑張って貨物を増やさないけませんな」

1997/2/26
 

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