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(5)貿易 行政の”企業努力”必要
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国際的競争力これから
 神戸大橋を小型船がスピードを上げてくぐり抜ける。和田岬と第一防波堤西端との間を通り、南米や北欧からの大型貨物船がゆっくりと第一航路に入る。喫水線ぎりぎりまで積み荷を満載している。

 阪神・淡路大震災から丸二年がたった今年一月、神戸港の輸出入総額は五千二百二億円を記録し、震災前の水準を初めて上回った。そして今、港は”復興宣言”を静かに待っている。

 「神戸港がこれほど早く、元の姿を取り戻してくれるとは思わなかった」。震災当時、「神戸貿易協会」の会長を務めていた石光輝男さん(73)は話す。

 石光さんが経営する「石光商事」は、五階建ての倉庫が全壊。荷の被災と合わせると二億強の損失を出した。陸上交通網が寸断されたため、中国・インドからの敷物を大阪港で荷揚げし、主力商品となるコーヒー豆は急きょ、東京や名古屋港から揚げた。

 震災前、同協会に加盟していた五百二十五社のうち、社屋が全壊するなどの被害を受け廃業、業種転換したのは約三十社。それに加えコンテナバースの被災などを理由に二十・三十社が一時的に他港に移った。

 昨年二月、交通網の復旧を機に、石光商事は荷揚げ拠点を神戸港に戻した。前後して、東京や名古屋に拠点を置いていた他の貿易商のほとんどが、神戸港に帰還。港は震災前の活気を取り戻しつつある。

 だが「この港が国際的な競争力を持つのはこれから」と、石光さんは指摘する。

 三百総トン以上の外国船に、水先人乗船が義務づけられる神戸港の強制水先制度。

 神戸、大阪港は法律的には同じ位置づけの「特定重要港」に属する。だが水先人乗船が義務づけられる外航船の基準は、神戸港に対し、大阪港は一万トン以上になっている。「震災直後に大阪港を利用して、神戸港の水先案内の基準の厳しさをあらためて痛感した」。業界側の要望を受け、神戸市は一九九五年夏、運輸省に基準見直しを要望。

 そして同市は九七年度予算案で、貨物の滞貨料などを廃止するなど、港湾施設使用料体系の見直しを決めた。

 「今回の市の努力は高く評価できる。が、ライバルはシンガポールや釜山港。神戸港が国際港として飛躍するためには、行政のより一層の”企業努力”が必要だ」。震災を乗り越え、世界を相手にする貿易商の、港を見据える目は厳しい。

1997/3/4
 

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