■雇用情勢まだまだ厳しく
「あんな大きな被害からよくここまで復旧したと思う。その一方で、雇用情勢はまだまだ厳しい」
海岸通(神戸市中央区)の一角にある組合事務所。震災復旧に関する分厚い資料を手に、神戸港湾労働組合協議会議長の平田令治さん(65)は、複雑な表情を浮かべた。
組合員らの雇用確保は、被災した労働者らの住居は…。「果たして復旧できるのか。何から取り組めばいいか」。神戸港で働き始めて四十五年になる平田さんは、震災直後、神戸港が無残に壊れた姿をみて声を失った。
仕事をしようにも、船の入港が見込めない。震災から三日後の二十日、組合に神戸港湾地震対策本部を設置。免許上、神戸港でしか働けない荷役作業員の他港就労を可能にすることや、荷役以外の土木、建築作業に従事できるよう要望するなど、雇用と生活確保に奔走した。
さらに「一隻でも多くの船を神戸港に」と、三月二十日のコンテナふ頭の仮復旧に合わせ、暫定措置ながら、二十四時間体制で、日曜日にも荷役することを決めた。二十数年ぶりに年末、年始の休みも返上した。
港湾の日曜完休といえば、神戸港が六七年、全国に先駆けて確立した制度だった。平田さんは「休みをとる以前に仕事を回復させることが優先だった。これしか選択肢はなかった」と振り返る。
港復旧への労使一体となった二年間の取り組みで、神戸港のコンテナ貨物は、震災前の約七五%まで回復した。しかし震災当時、六千七百人いた港湾労働者はこの間、一挙に約千人も減った。まだ、大阪港へ出向いて働いたり、別業種へ移転したままの人もいる。
「仕事量が戻っていないだけに、労働者が余剰気味、とも取れる」。つらい認識だ。
年中無休荷役の暫定措置は、近く予定される復旧完了を期限に終了する。今後は国内六大港で進める日曜荷役体制の労使協議の場に合流することになる。
「年中無休荷役は必要だ。しかし、労働者が安心して働けるよう整備しないと、港は繁栄しない」。平田さんはこう言って、あらためて表情をひき締めた。
(陳友〓、西岡研介(注)〓は「日」の下に「立」)=おわり=
1997/3/14