■30年ぶんの仕事を2年で
震災直後の港。巨大クレーンを積んだ起重機船が、崩れたバース上に横たわるコンテナクレーンに近寄り、持ち上げる。その光景はまるで「傷ついた小鳥を、親鳥が抱え起こすようだった」という。
神戸港は震災で、岸壁の沈下、ヤードの陥没など総額九千億円を超える壊滅的な打撃を受けた。
「これまで築いてきた岸壁やバースが一瞬にして崩れ落ちた。あの光景は今でも忘れられない」。神戸港の港湾開発に従事してきた「寄神建設」=同市兵庫区七宮町二=副社長の寄神正文さん(49)は話す。
同社は総吊(そうつ)りトン数四、一〇〇トンの、世界最大級クレーンを搭載した「海翔」や、旋回クレーンを積んだ「神翔1600」など十隻以上の起重機船を保有している。復旧工事では、この起重機船がかなめとなった。
同様の船を持つ二社と協力し、港内に倒れていた五十基以上のコンテナクレーンを吊り上げ、修理工場に運ぶ。震災で倒壊した神戸大橋の橋脚を撤去し、仮橋を設置する。東京や大阪の巨大プロジェクトで「海翔」が神戸港を離れると、復旧作業が一時、停止することもあった。
九五年三月末から一斉にスタートした護岸復旧工事は八月から本格化し、「図面の修正と工事が同時進行するスピードで進んだ」。同社もほとんどの社員を神戸港の復旧事業に投入、「過去三十年分の仕事を二年で仕上げた」という。
そして今年三月末、被災したコンテナバース、定期貨物岸壁のすべてが復活。同月初めから順次、再開されている貨物船の着岸も、四月には、全面復旧する見込みだ。
「港が元の姿に戻るにつれ、私たちの仕事も減る。確かにしんどい状況に置かれますよ。でもね、港に育てられたものとして、うれしいというのが本音」と寄神さん。「われわれにとってはポスト復旧が正念場。神戸港の今後の発展に期待してます」。復旧を支えた「海翔」は再び、神戸港から他港に旅立つ。
1997/3/6