息をして-。神戸市長田区松野通の崩れた家から助け出された竹本早加恵(さかえ)さん=当時(14)=の体は温かかった。なのに、硬直し始めているように感じた。市立西市民病院へ運ぶ車中、母親の元子さん(53)は習ったばかりの人工呼吸法で、繰り返し、息を吹き込んだ。
だが、はりの下敷きになった早加恵さんと二女裕美さん=同(12)=が、再び目覚めることはなかった。
夜、遺体を病院から神戸村野工業高校へ移すことになった。姉妹を二台のキャスター付きベッドに寝かせ、渋滞する車の間を運んだ。約七百メートル。ベッドは福祉事務所の男性職員(48)が押し、家族が続いた。「大人に比べると、ベッドはひどく軽かった」。職員は九年前を鮮明に記憶していた。
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震災前年の秋、なおちゃん(23)と早加恵さんは学年劇で共演した。
オーディションで選ばれた二年生による西代中学の伝統行事。みにくいいじめられっ子「泥かぶら」の物語で、早加恵さんが主役、なおちゃんはいじめっ子を演じた。
いつも笑顔でいたら、きれいになれる-。泥かぶらは旅の僧の言葉を信じ、懸命に生きる。やがて友達ができ、初めて「また、明日」と声をかけられた。その美しい心は悪人をも改心させる。
三カ月間の練習は厳しかった分、強い連帯感が芽生えた。熱演が客席の涙を誘った。演じ終えた生徒たちも泣いた。
娘に会いたいときに劇のビデオを見ます。いじめられる場面のたびに「うちの子は不細工やない」と怒ってしまう。
時間とは一秒も戻らんもんやと知りました。古い家から引っ越しとけばよかった。自責ばっかり。娘二人にあの世で会って謝りたい。自分から死んだら会えなくなるもんね。
「また、明日」って言葉が好きになり、よく使います。未来を信じる言葉、でしょ。
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なおちゃんの家族四人は西代中学に避難した。在校生四人の死亡を聞いた。信じられなかった。地震の翌々日、なおちゃんは遺体安置所となった村野工高を訪ねた。
百体を超す遺体が並ぶ体育館で早加恵さんを見つけた。父親の博さん(56)が「友達が来てくれたで」と、姉妹に語りかけた。「握ったってくれるか」。触れた早加恵さんの手は、冷たかった。
なおちゃんの父、藤原修さん(49)が同行していた。父の涙を初めて見た。動転した。でも、自分は泣かないようにした。
避難所への帰り道は遠く感じた。
2004/3/24