なおちゃんは、子ども会で育ったようなもんやな。ほかの子の世話する方にまわって楽しめる子やった。「西田のおっちゃん、なんか手伝おか」って、寄って来る。「こんなゲームしよか」と言うと、きっちり下準備してしまう。器用やね。
うちの子ども会は、よそと違った。頑張った子に景品を出す。真剣になるからおもろいし、けがも少ない。家業が菓子問屋やから景品にする菓子は売るぐらいあるんよ。大人を的にボール当てとか、水鉄砲のかけ合いとか、親が遊びたくて子どもを連れてきた。大人も子どもも顔なじみだったし、子ども会の縁で消防団にも入ってもらった。
◆
大学生になったなおちゃん(23)は二〇〇〇年六月、神戸市須磨区衣掛町で住宅の一階を借り、駄菓子屋兼フリースペース「宙(そら)」を開く。
実家近くの西田幸広さん(56)経営の菓子問屋から売価十円の駄菓子を仕入れた。大きなテーブルのまわりに、近所の子どもたちが集まるようになった。相生市でキャンプをした。なおちゃんに悩みを相談する子もいた。
「あれは子ども会の延長」と、父の藤原修さん(49)は話す。西田さんが代表だった子ども会で、なおちゃんも修さんも「一緒に遊んだ」。
震災後、子どもが減り、その子ども会は再開できずにいる。西田さんが卸していた近所の駄菓子屋五軒も店を閉めた。
消えた子どもの居場所を復活させようと、なおちゃんは約二年間、取り組んだ。
◆
「電柱は人を殺す」。鞍本長利さん(53)は地震の教訓をそう語る。倒れた電柱が車いすの娘二人の避難を阻んだ。もし火の回りが早かったら-。なのに、復興土地区画整理事業の対象地区でさえ、電線は一部でしか地中化されていない。
長利さんは〇二年、神戸市長田区水笠通四に自宅を再建した。一階にカフェ・バー「デッサン」を開いた。車いすの人も利用できるように、段差がなく、トイレが広い。
周辺は更地が目立つ。市場で妻の伴子さんが洋服店を営んでいたが、再開しても売り上げを期待できず、業種替えを決めた。昼は伴子さんが喫茶店、夜は長利さんがバーのマスターをする。長利さんは介護が必要な人を支援するNPO法人の管理者と兼業だ。
「車いすで飲める場所がなかなかない。ほんなら自分らで造ろうか、ということになった」
しっくいの白壁がおしゃれな店に、障害の有無にかかわらず人が集う。
街は、暮らしやすくなったのだろうか。
2004/3/29