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(4)避難所 運営手伝い「元気出しよ」
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震災後に出会った人たちとの再会。なおちゃんは三線を弾いた=今年2月17日、神戸市長田区水笠通
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震災後に出会った人たちとの再会。なおちゃんは三線を弾いた=今年2月17日、神戸市長田区水笠通

震災後に出会った人たちとの再会。なおちゃんは三線を弾いた=今年2月17日、神戸市長田区水笠通

震災後に出会った人たちとの再会。なおちゃんは三線を弾いた=今年2月17日、神戸市長田区水笠通

 空は黒煙で覆われ、日が沈んでいないのに暗かった。なおちゃん(23)の母、藤原亮子さん(49)は自宅が燃えるのを見たくなくて、直前にその場を離れた。

 一月十七日、神戸市長田区の西代中学には八百人余りが避難した。なおちゃんの家族四人は武道館の真ん中あたり、一畳分の空間に肩を寄せ合った。停電の闇。亮子さんは涙が止まらなかった。

 午後十時、新採の教諭だった藤島俊英さん(34)らが食事の配給に来た。一家族に、バナナか、おにぎりかを一つずつ。しかし、奪い合いにはならなかった。「これだけしかないんです」。謝りながら配る先生の姿を、なおちゃんは覚えている。

    ◆

 月が不気味なオレンジ色をしていた。主婦新井明子さん(42)は、その色を忘れられない。

 西代中に近い家から講堂に避難した。詰まって汚い学校のトイレを使いたくないと、幼かった長男一平君(16)と二男啓介君(13)は何も食べようとしなかった。

 翌日、パンの配給時、ごみを集める生徒に出会った。先輩の三年生五人と一緒に先生を手伝い始めたなおちゃんだった。

 六日後、息子二人を夫の実家に疎開させ、被害の軽かった自宅に戻った。建設会社に勤務する夫は多忙を極めた。

 家に一人でいたら、参っていたはず。子どももトイレで困ったから、プールの水を運ぶことにしました。特に朝一番は水がいる。夜明け前、おけにくみ、台車に乗せるんです。なおちゃんたちに手伝ってもらい、日に何度も運びました。

 なおちゃんはたくましかった。意識して明るく振る舞ってたんでしょうね。「うちは家、焼けてんで。元気出しよ」と、よく言ってました。

    ◆

 高台にある西代中にまで、なおちゃん一家のように家が焼けた人は上ってこなかった。昼間、避難者は家の整理に戻る。亮子さんは「帰る場所を失った」と実感した。

 なおちゃんらは救援物資の仕分けや配給も手伝った。「生徒によるボランティア活動の“開拓者”だった」と当時の校長、大西國博さん(69)。

 先輩らと避難所新聞の発行も計画した。もともと西代中では個人や班でB4判一枚の新聞をよく作った。経験を生かし、炊き出しや給水、店の再開など地域の細かい情報を伝えようと思った。

 題名は新井さんの提案で、「ネバー・ギブ・アップ!」。あきらめない-と決まった。

2004/3/25
 

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