なおちゃん(23)に日付を問うと、すぐに答えが返ってきた。一九九七年十一月三十日。神戸・三宮の東遊園地でエイサーを初めて披露した。長田高校二年生だった彼女は太鼓を手に地をけった。
その三週間前、関西で活動する「月桃の花歌舞団」のエイサーを見た。避難所での出会いをきっかけに訪ねた沖縄で知ったエイサー。感激がよみがえった。すぐ歌舞団に参加し、猛練習した。
初舞台に立ち、「震災があったから、こうして踊っている」と感じた。
同じ催しに、アマチュアのフォーク歌手岡本光彰さん(47)も出演した。「土建屋行政」や公的補償をしない国を風刺する軽快な曲が胸にすとんと落ちた。
「心を澄ませば大地はまだ揺れている」。岡本さんの歌を聴きながら、なおちゃんは、地震を終わったことにしていた自分をうそっぽく思った。
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その日を境に、再び地震と向き合った。同級生に震災の体験を話した。分かってもらえないと思い込んでいたが、違った。「大変やったな」と声を掛けられ、涙が出た。それまで泣いていなかった気がする。
歌舞団で仮設住宅を慰問した。戻れない「わが町」の思い出を話す人たちに会った。共感した。自分も思い出の品が焼けた。「私の根っこは被災者」だと、素直に感じることができた。
一九九九年春、神戸大学経済学部夜間主コースに入学した。昼間、やりたいことがあった。
「人との出会いで自分は育ってきた。人と人とをつなげたい」
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その年、母校の市立池田小学校で、恩師の中溝恵子さんと話す機会があった。運動会で五年生がエイサーを披露すると聞き、なおちゃんは「私、教えられるよ」と名乗りを上げた。
児童八十人の名前をすぐに覚えた。うまく踊れないときは何度も繰り返させた。チームに分け、リーダーを通して教えるなど工夫もした。
中溝さんは熱心さに目を見張った。「練習するうち、あの子が何を教えたいのか分かってきた」
子どもたちは運動会で見事な演技を披露した。翌年からは、ほかの小学校からも指導を頼まれた。
子どもたちに話をしました。なんで沖縄の踊りを神戸でやるんやろって。エイサーはお盆の踊り。あの世からお迎えした霊を送り返すときにするもの。地震で亡くなった人も、きっと見てるし、聞いてるんちゃうかな。だから、エイサー踊るとき、手抜けへんなぁって、私はいつも思う。
2004/3/28