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(1)無縁さん 灰に埋もれた軌跡
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無縁墓地の一角。1999年1月に建立された震災無縁慰霊碑=神戸市北区山田町下谷上、鵯越墓園
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無縁墓地の一角。1999年1月に建立された震災無縁慰霊碑=神戸市北区山田町下谷上、鵯越墓園

無縁墓地の一角。1999年1月に建立された震災無縁慰霊碑=神戸市北区山田町下谷上、鵯越墓園

無縁墓地の一角。1999年1月に建立された震災無縁慰霊碑=神戸市北区山田町下谷上、鵯越墓園

■該当者いない可能性も

 誰が手向けたか、菊の花にハチが舞っていた。

 神戸市北区の鵯越墓園にある無縁慰霊碑。その地下に、阪神・淡路大震災による身元不明の死者の骨つぼが安置してある。

 被災地の身元不明死者は九人とされている。震災死者六千四百三十三人の内訳として数字は目にしていた。しかし、数字以外の事実を何も知らない。私たちは、まず鵯越墓園の坂を登った。

 遺骨の記録を管理事務所で公開していると聞いていたのに、事務所では「記録はない」という。「そんなはずがない」と粘って、綴(つづ)りを探し出してもらった。閲覧者欄には、たった一人しか署名がなかった。

 データを書き写した。神戸市兵庫区で五人、長田、須磨区で各二人。九人全員が「焼骨骨片」となって発見されていた。

 一九九五年一月十七日、高台にある墓園周辺には黒い灰が降ったという。

    ◆

 震災の二日後、焼け跡は、まだ熱を帯びていた。神戸市兵庫区湊川町二で、弟=当時(45)=の骨を探す久米川記子さん(59)の靴が溶けた。涙と汗が灰と混じり、黒くほおを伝った。

 弟は幼いころ、父親とともに高知県から神戸へ出た。父と同じ溶接の仕事を選んだ。木造住宅の一階を借り、知り合った女性=同(47)=と暮らしていた。入籍はしていなかった。

 黒焦げのがれきを掘ると、二人分の白い骨が現れた。手を重ねていた。弟の金のブレスレットと女性の指輪があったから分かった。「最期に寄り添ったんやなぁ」。記子さんは切なかった。

 同じ路地一帯で記子さんの弟と女性を含む八人が死亡した。だが、記録では弟宅の北側で身元不明の死者一人が発見されている。

 そう告げると、記子さんが思い出した。「最初、間違って北側を堀ったとき、骨を見た」と。しかし、私たちはその借家の住人が助かったと聞いていた。では、誰がそこで死んでいたのか-。

    ◆

 兵庫署の震災当時の署員は、身元不明について問うと顔をしかめた。「管内の兵庫区内の遺体、遺骨は、100%身元を割り出した。自信を持って言える」

 説明はこうだ。焼け跡でAさん、Bさんの骨が見つかり、後日、別の細かい骨が出ると、二人のうちどちらのものか、あるいは別人か、医学的に特定が難しい。その骨が手続き上、身元不明扱いになったという。ただし、元署員の手元に捜査資料はなく、具体例は聞けなかった。

 取材ノートにはこう記すしかなかった。

 <「身元不明」には個別の該当者がいない可能性もある>

    ◆

 弔う人のいない遺骨を「無縁さん」と呼ぶ習わしがある。震災による無縁さんは、いずれも火葬場を通す必要もないほど焼けた骨、焼骨だった。

 都会の片隅で生き、そして死んだ無名の人たちの足跡を、私たちは探してみることにした。(記事・宮沢之祐、木村信行、宮本万里子、写真・峰大二郎)

2004/5/31
 

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