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(4)アパート 下町風景とともに消えた
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いつもの顔触れ。モーニングで一日が始まる=神戸市兵庫区上沢通4
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いつもの顔触れ。モーニングで一日が始まる=神戸市兵庫区上沢通4

いつもの顔触れ。モーニングで一日が始まる=神戸市兵庫区上沢通4

いつもの顔触れ。モーニングで一日が始まる=神戸市兵庫区上沢通4

 けさも、常連客が午前六時半の開店を表で待っていた。神戸市兵庫区上沢通の喫茶店。朝刊を広げる男性の横で女性たちが世間話を始める。活気は震災前と変わらない。トーストとゆで卵付きのモーニングの値段も同じ三百五十円。でも、顔触れは少し変わった。

 店から徒歩一分の同区松本通四丁目にあった「明和荘」は、震災で全焼し、身元不明の死者二人の焼骨が見つかった。

 「明和荘で亡くなったお客さんもいたわよ。でも名前まではねぇ」。店主の中尾小夜子さん(64)は首をかしげた。

 木造二階建ての明和荘は、終戦直後に建てられた。風呂なしの四畳半か六畳の一間で約三十室。家賃は月二万円前後。単身の男性やお年寄りが住んでいた。朝は喫茶店、夜は銭湯へ。なじみの食堂や理容店もあった。

 なぜ一人暮らしなのか。それぞれに物語はあったが、互いにせんさくはしない。それが下町のアパートで暮らす人々の暗黙のルールだった。

    ◆

 身元不明の焼骨のうち一人分は震災の四日後、明和荘の焼け跡で見つかった。さらに二日後、もう一人分が発見された。いずれも、性別さえ分からないほど砕けていた。この二人分の骨は引き取り手がなく、警察から区役所に引き渡された。

 明和荘一階に住んでいた辻下テルヨさん=当時(88)=は、震災で崩れた二階の下敷きになった。近くに住む長女の薮本りつえさん(61)がすぐ駆け付けたが、炎が迫り、助け出せなかった。

 数日後、部屋の位置と焼け残ったテルヨさん愛用の茶わんが目印となり、「母の骨」を見つけることができた。「こんなに少ないのか」。りつえさんはそう思いながら砕けた白い骨を拾い、ハンカチ一枚に包んだ。

 「一人が気楽でええ」

 テルヨさんの口癖だった。りつえさんと市場へ行くのが日課。長男に同居を誘われていたが、応じなかったという。

    ◆

 取材では、明和荘の死者として、テルヨさんを含む九人の名前が分かった。家主だった女性に身元不明の死者についてきくと「そんな人、いたかしら」と驚き、続けた。「亡くなった人の敷金はすべて保証人に返しました」。だが、当時の入居者名簿はなく、正確な死者数もわからなかった。

 火災で消えた下町は、復興土地区画整理事業で一変した。オートロック付きのマンションが建ち、明和荘もガレージになった。アパート暮らしだった人々の多くは転居を余儀なくされた。

 明和荘で身元不明の二人に該当する人物は探し出せなかった。人知れず亡くなった人がいたのか。身元が分かった死者の焼骨の一部が焼け跡に残され、別人物として扱われたのか。

 行き詰まった私たちは焼骨を供養している加古川市の寺を訪ねた。

2004/6/3
 

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