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(10)忘れない 私たちの町で死んだ
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湯煙の中で聞いてみた。「震災で亡くなった人、知りませんか」=神戸市兵庫区湊川町、芦原温泉
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湯煙の中で聞いてみた。「震災で亡くなった人、知りませんか」=神戸市兵庫区湊川町、芦原温泉

湯煙の中で聞いてみた。「震災で亡くなった人、知りませんか」=神戸市兵庫区湊川町、芦原温泉

湯煙の中で聞いてみた。「震災で亡くなった人、知りませんか」=神戸市兵庫区湊川町、芦原温泉

 身元不明死者九人の焼骨は、いずれもふろのない住宅の焼け跡で見つかった。私たちは、震災前に九人が通っただろう銭湯を訪ね、生前の姿を探そうとした。

 廃業した銭湯も多い。桂田政子さん(83)は、震災まで五十年、番台に座った。「おにぎりを独りもんの人に配ったり、水商売の女性を待って閉めるのを遅らせたり。お客さんを家族と思ってた」

 安田昌弘さん(59)は全焼した銭湯を再建した。駐車場を設け、終夜営業にした。「以前は掛け湯しない子を大人がしかる関係があった。今は大人のマナーが悪いし、洗面器を動かしたぐらいでけんかになる」。人との付き合い方の変化を安田さんは感じている。

 身元不明の死者について問うと、銭湯の主や客は首をかしげた。「そんな話、知らんなぁ」

    ◆

 結局、わずかでも生前の姿を描けたのは、九人のうち、長田区水笠通に住んでいた中島清子さん=当時(78)、同じアパートの男性=同(49)、兵庫区中道通の中国人の「サイさん」の三人だけ。いや、三人さえ該当者とは断定できない。

 ほかの六人の発見場所では、「その部屋は誰もいなかった」「死亡者の身元は皆、分かった」と話す住民に会った。誰かが地震の瞬間に偶然、居合わせた可能性はある。しかし、取材を進めるほど、該当者の存在を実感しにくくもなった。

 遺体の検案をした横浜市立大医学部の西村明儒助教授はこう指摘した。

 「遺族、救急隊、自衛隊、警察と入り乱れた捜索の結果、同じ場所から別々に骨片が届いて人数の特定が難しくなったケースもある」

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 遺体を骨片になるまで焼き尽くした火災が、まず「身元不明」の原因だった。兵庫区で消火にあたった市中央消防署係長の熊田晃久さん(47)の言葉が印象に残った。「どんな大火災でも、最後は自分らが消してきた。火事に勝ってきた。でも、震災は違った」

 断水し、火は止めようがなかった。防火水槽も消防車も不足していた。市消防局によると、市内の焼損区域で五百二十九人の遺体・遺骨が発見された。備えのなかった町に、焼骨が残った。

 しかし、骨片になろうと、「ここにいた」と訴える家族がいたら、身元は特定された。名乗り出る縁者がいないからこそ、身元不明になった。

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 神戸市北区の鵯越墓園。その無縁墓地の一角にある震災無縁慰霊碑を目指し、また坂を上った。

 無縁墓地には毎年、震災に関係なく「無縁さん」が納められる。市の調べで、二〇〇三年度、引き取り手がない遺体は二百二十八人。そのうち三十六人が「氏名不詳」だという。そんな日常も、焼骨が身元不明になった背景にある。

 焼骨の主が誰か分からないまま、九人なのか、人数さえも揺らぐ。

 ひとつ確かなことを忘れずにいたいと思った。私たちの町で、猛火にさらされ、砕け散った骨が、この碑の下にある。

(記事・宮沢之祐、木村信行、宮本万里子、写真・峰大二郎)=おわり=

2004/6/9
 

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