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(2)大火 紙一重「偶然助かった」
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木造密集地を焼き尽くし、炎は広がり続けた=1995年1月17日午後10時半、神戸市兵庫区松本通4(撮影・金居光由)
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木造密集地を焼き尽くし、炎は広がり続けた=1995年1月17日午後10時半、神戸市兵庫区松本通4(撮影・金居光由)

木造密集地を焼き尽くし、炎は広がり続けた=1995年1月17日午後10時半、神戸市兵庫区松本通4(撮影・金居光由)

木造密集地を焼き尽くし、炎は広がり続けた=1995年1月17日午後10時半、神戸市兵庫区松本通4(撮影・金居光由)

 鵯越墓園で、身元不明の死者九人が全員「焼骨」の状態だったと知り、その発見場所を震災の被害地図の上に落とした。九つの赤い印は神戸市西部の五カ所の大火の焼け跡に収まった。

 震災前の住宅地図を手に現地を訪ねた。焼骨の発見場所はガレージや新築の住宅になっていた。偶然かどうか、いずれも震災前には風呂のない古い賃貸住宅のあった場所と分かった。

 そこに誰が住み、どんな最期を迎えたのか。私たちは、家主と、生き残った住人を探した。

    ◆

 「アイゴー、アイゴー」

 同じ一階の女性、金さんが祖国の言葉で嘆く声で、朝野操さん(74)はわれに返った。

 あの日。神戸市長田区水笠通五の二階建てアパートは激震で倒れた。朝野さんは一階の角部屋。がれきに胸を圧迫され、右手しか動かせなかった。真っ暗だった。

 「大丈夫や」と金さんを励ましたものの、助けに来た人の声が、「あかん。わしらの手におえん」と聞こえてきた。

 土ぼこりで目が痛み、声もかれた。焦げるにおいがして、火事の発生を知った。炭坑で大けがをした経験もあるが、今度は助からない。覚悟したとき、レスキュー隊が来てくれた。手足を引っ張られ、「痛い。ゆっくり」と頼むと「火が来よるんや」と怒鳴られた。

 金さんに続き、朝野さんも北側の窓から引き出された。アパートが南へ倒れたから助かった。南隣の住人は声もしなかった。死んだと聞いた。

 火災はJR新長田駅北西一帯に広がる被災地最大の大火となった。市消防局の記録では千三百十一棟が焼失した。

 家主に確認すると、アパートには二十一人が住んでいた。四人が亡くなり、うち二人分の遺骨が「身元不明」とされた。

    ◆

 身元不明死者一人が出た兵庫区湊川町二。

 地震直後に火の手が上がった。アパート二階の部屋を夫婦で借りていた男性(66)は、窓から外へ出た。押しつぶされた一階で悲鳴がした。

 救出する道具がなかった。車が爆発し、炎が飛び散った。ただ、逃げるしかなかった。

 同区松本通四にあった明和荘では身元不明の二人が死んだとされる。

 住人だった石元静雄さん(57)は、近所で新聞を配達中、地震に遭った。止めていた自転車は石垣の下敷きになった。

 明和荘も倒壊し、焼けた。自室は一階。「寝ていたら、死んでいた」

 身元不明の焼骨の発見場所から生還した人々は同じ言葉を口にした。

 「助かったのは偶然」

 生還者の話を聞けなかったアパートもあった。

2004/6/1
 

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