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(9)あの人は 震災境に途絶えた消息
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大西隆夫さん(右)と末積豊さん。大西さんは年賀状の住所に今も住民票が残る
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大西隆夫さん(右)と末積豊さん。大西さんは年賀状の住所に今も住民票が残る

大西隆夫さん(右)と末積豊さん。大西さんは年賀状の住所に今も住民票が残る

大西隆夫さん(右)と末積豊さん。大西さんは年賀状の住所に今も住民票が残る

 震災の身元不明死者は九人、行方不明者は三人と記録されている。それとは別に、震災を境に、消息が途絶えた二人の名前を私たちは知った。

 神戸市兵庫区中道通のアパート「中道荘」は震災で崩れ、焼けた。そこに住んでいた大西隆夫さんの安否を案じ続ける女性(76)がいる。

 亡夫の四十年来の友人だった。気持ちに区切りをつけようと、女性は今年一月、神戸・東遊園地の「慰霊と復興のモニュメント」を訪ねた。震災死者の銘版を繰り返し見たが、名前はなかった。

 声を掛けてくれたモニュメントの運営委員長、堀内正美さん(54)に相談した。運営委が調べ、大西さんの住民票が今も中道荘にあると分かった。

 大西さんは一九三二年生まれの独身。身寄りはなかった。女性の記憶では、健康が不安で定職に就けず、切手を売買していた。家に来ると、子どもとよく遊んでくれた。

 震災当時は元気だった夫が、周辺の避難所を訪ねて回った。一方で、幾つも新聞を買って、死亡者名簿に目を通した。

 私たちも大西さんの行方を探した。灘区の切手商の男性(78)が大西さんを覚えていた。そこで仕入れ、収集家の会合で販売していたという。「震災前は毎月来てはったけど、さてどうされたか」

 中道荘は、偶然だが、身元不明の死者二人の発見場所と、道一つ隔てた街区にあった。警察発表の資料では中道荘の死者は六人で、大西さんの名はない。

 隣室だった男性(65)は地震で柱の下敷きになった。脱出直後、周囲は炎上。妻と娘を亡くした。「大西さんの部屋もがれきの山になっていた。助かったとは思えない」

 家主の女性は四年前に死去した。探し当てた長男(56)によると、母親が大西さんの敷金を縁者に返したという。「悔しい死に方やけど、これで成仏できるやろな」。母の言葉を覚えている。

    ◆

 大阪市の主婦大久保晴美さん(55)は神戸市北区の鵯越墓園にある両親の墓に参るとき、震災無縁慰霊碑にも足を運ぶ。そして震災後、消息が途絶えた七歳違いの兄、末積豊さんのことを考える。

 豊さんは震災の二年前まで神戸市兵庫区内の市場で清掃会社を営んでいた。年に数回、晴美さん宅を訪れた。離婚し、妻に引き取られた長女とも連絡を取っていた。それが震災後、ぷっつり途切れた。震災時、どこにいたかは分かっていない。

 「何も言わずにいなくなる兄じゃない。まして震災で市場の仲間が苦労しているときに…」

 警察に捜索願は出しているが、次第に無縁慰霊碑に豊さんが眠っていると思うようになった。「手を合わせると、少しは区切りがつく気がするんです」

    ◆

 もし亡くなったのなら、どこかで手を合わせてあげたい。大西さんを探し続けた女性も、震災無縁慰霊碑を訪ねたいと思っている。

2004/6/8
 

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