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(7)市場 つつましやかな生活支え
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更地が目立つ街。訪れる客はまばらになった=神戸市長田区水笠通
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更地が目立つ街。訪れる客はまばらになった=神戸市長田区水笠通

更地が目立つ街。訪れる客はまばらになった=神戸市長田区水笠通

更地が目立つ街。訪れる客はまばらになった=神戸市長田区水笠通

 夏みかんや大根が並ぶ店の隅で、寺尾八郎さん(66)が所在なげに座っている。視線の先には空き地がいくつもある。

 神戸市長田区水笠通。震災で亡くなったとみられる中島清子さん=当時(78)=が住んだアパートのすぐ近くに山吉市場があった。市場は震災で解散したが、寺尾さんは八百屋を再開させた。

 中島さんの写真を見せると、「覚えている」と寺尾さん。偶然、買い物中だった主婦坂本敏子さん(68)が中島さんをよく知っていた。震災まで、婦人会の活動で週二回、部屋を訪問したという。「にぎやかで、ほがらかなおばあちゃん。震災で残念なことになって」

 身元不明死者二人の焼骨が、このアパート跡で発見された。中島さんと、もう一人の足跡を探し、地元を歩いた。

    ◆

 結論を言えば、私たちは、もう一人、三号室の男性=当時(49)=の名前を知ることになった。

 何人かは、男性はアパートで亡くなったと記憶している。震災の年の四月、遅れて男性の死亡を知った親族が、遺体や遺骨がないまま死亡届を提出し、受理された。なぜか、震災死者の名簿には加えられなかった。

 二年前、神戸・東遊園地の銘版がないことに気付いた親族が、神戸市に掲示を希望した。銘版は掲げられたが、弔慰金が申請されなかったこともあり、現在も震災死者に数えられていない。

 身元不明九人のうち、一人の身元が分かったことにもならなかった。鵯越墓園の焼骨を、水笠通の男性と断定する科学的裏付けができないと警察が判断したからだ。遺骨も引き取られていない。

 親族の強い要望で、市は銘版の追加を公表していない。私たちは親族と連絡を取れなかった。

    ◆

 中島さんも、三号室の男性も、つつましやかな生活ぶりで、おかずは市場で買いそろえた。寺尾さんの店は市場の入り口にあって、アパートの住人の大半は顔なじみだった。でも、震災後に建ったマンションの住人は、「全然知らない。買いに来ないから」。

 一九七〇年代には一時間でイチゴを五百パック売ったという。周辺にあった靴製造の作業場で働く女性たちが昼休みにどっと来た。今、同じ時間帯の客は数人だけだ。

 寺尾さんの店と同じ並びにある蓮生寺。住職石井弘宣さん(68)は、追悼法要を毎年一月に営む。身元不明の死者の身元探しにも心を砕いた。

 事情を抱えた一人暮らしの人も、震災前の町は優しく受け止めた。人口が回復せず、一方で、住民のつながりが希薄になったかのように見える震災後の町の変化を、石井さんは嘆いた。

 「神戸が復興したって、一体どこの話か」と。

2004/6/6
 

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