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震災10年 守れ いのちを 第3部 史上最大の派遣

(7)存在 「国民の合意」どこまで
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 陸上自衛隊青野ケ原演習場(兵庫県小野市)に、大小約四十個のテントを組み合わせた「病院」が二日がかりで出現した。総面積約千平方メートル。今年七月、陸自中部方面隊の衛生科職種訓練でのことだった。

 国家資格を持つ医官や看護官が、負傷者役の隊員を次々に診察する。レントゲンや心電図といった検査機器はひと通りある。手術室には空調が行き届いていた。常設病院にもひけを取らない。歯科や精神科もある。

 野外病院は、災害派遣での開設は想定していない。だが訓練は、自衛隊の緊急医療レベルの高さを存分に誇示していた。

 大震災で自衛隊は、被災地に十八の救護所などを開設した。傷口の縫合手術や風邪。二万人を超す被災者に一般診療を行った。防衛庁防災業務計画に基づく「応急医療」だった。

 臨時の施設は、医療法上の病院にも、診療所にも該当しない。地震の三十八日後、ようやく出た旧厚生省の事務連絡で、診療所として例外的に位置付けられた。

 しかし、災害派遣時を含め、医療事故が発生した際の責任の所在などについて、恒久的な規定はないままだ。

 野党「社会党には、自衛隊を違憲とし、災害出動は治安出動につながるからと反対してきた歴史がある。その党の委員長が総理でいらっしゃる」

 村山富市首相「私が政権を担当してから自衛隊を合憲と認めている。三権の長として観閲式にも出た」

 地震三日後に始まった通常国会。被災地で隊員が不眠不休の活動を続ける中での“論戦”だった。

 その前年、村山首相は、政権の座に就いた直後の国会で、自衛隊の存在を「合憲」と断言していた。旧社会党の政策の大転換だった。「現に存在して予算を年間何兆円も使っている。総理の立場であいまいにはできなかった」と、今、政界を引退した村山氏。

 しかし、自衛隊の「初動の遅れ」を問題視する野党にとって、社会党出身の首相は格好の攻撃の的だった。

 「あの時だけじゃない。本質的な、国民的な議論は深まらず、自衛隊はいつも政治の材料だった」。陸自OBが語気を強めた。十七ある階級のトップ「将」に次ぐ「将補」で退くまで、三十年余。古巣が歩んだ道のりを思い浮かべ、苦々しい表情を見せた。

 一九九九年九月、台湾中部を襲ったマグニチュード7・6の大地震。発生三分後、中央災害対策センターを設置した行政院(内閣)などとともに、軍が救助活動を即座に開始、その主役となった。

 阪神・淡路、台湾の両地震を研究している国立台湾大学の陳亮全副教授(57)が解説する。

 「中国との緊張関係、徴兵制。台湾では軍が身近だし、軍の出動に抵抗はまったくない」

 台湾では災害時、軍は担当地域の救援活動を独自に行う権限を与えられている。原則、自治体からの要請を前提とする日本とは、大きく異なる。

 日本では、災害対応の責任は、自治体や警察、消防が一義的に持つ。それが災害対策基本法の定めであり、自衛隊はあくまでサポートする立場にとどまる。対して、台湾軍は積極的な活動主体だ。

 「社会的背景もあり、どちらがいいか一概には言えない。ただ、自衛隊の役割について国民のコンセンサスがないと、いざというときに動きにくいはず」

 今年六月、日本の危機管理体制を調べるため、神戸を訪れた陳副教授。最後にそう言い残し、日本を去った。

2004/9/10

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