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震災10年 守れ いのちを 第3部 史上最大の派遣

(6)権限 進んだ法整備にも課題
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 陸上自衛隊には今、通常の勤務態勢から外れ、災害時のためにローテーションで二十四時間待機している隊員たちがいる。

 二〇〇一年度創設の「災害派遣即応部隊」。駐屯地などを単位に、全国で約二千七百人、車両約四百十両、ヘリコプター約三十機が指定されている。出動準備に時間がかかった阪神・淡路大震災の反省が、形になった一例だ。

 今年七月の福井豪雨では、福井など三県を管轄する陸自第十四普通科連隊(金沢市)から、即応部隊の二十五人が出動した。冠水したまちで家に取り残された人たちを捜索し、安全な場所へ避難誘導する役目を負った。

 陸自中部方面総監部(兵庫県伊丹市)がまとめた内部資料「阪神・淡路大震災災害派遣行動史」には、法的制約などによって活動に何らかの不都合が生じた二十八の事例が記されている。

 これらを参考に、災害派遣を取り巻く法律の整備が進んだ。

 「震度5弱」以上ならば、上空からの被害偵察活動は、あの朝のような「訓練」名目でなく、「任務」として実行できるようになった。市街地上空で三百メートルに設定されている最低安全高度の制約もなくなった。

 都道府県知事の要請に基づかない「自主派遣」については、自衛隊側の具体的判断基準が明文化された。自治体との通信手段が途絶していても、「初動」に遠慮や躊躇(ちゆうちよ)は無用となった。

 被害を受けた市町村長が、知事に「災害派遣要請の要求」をできるようになった。派遣を希望する人員など、詳細な内容が求められていた要請手続きも簡略化された。派遣のハードルは、ぐっと下がった。

 大震災時、陸自第三師団(伊丹市)で部隊運用に腐心した大塚敏郎一佐(53)は、「われわれに対する期待の表れ」ととらえる。今月五日夜の「紀伊半島南東沖地震」では、陸自七機、海自五機のヘリが自主派遣として飛んだ。

 「環境は整ったが、新たな権限などが国民にどこまで認知されているだろうか」と、第三師団長だった浅井輝久さん(66)。

 例えば、法改正により、警察官がいない場合は、通行の邪魔になる車両や工作物を移動させたり、立ち入り制限を命じることも可能になった。「いざというときに反発を受けるのでは」。そう浅井さんは懸念する。

 自衛隊の災害派遣出動は、一九八四年度が五百七十九件で、前後数年間は六百件台。大震災があった一九九四年度以降に限ると、年平均で約八百五十件と増加傾向にある。とはいえ、離島からの急患搬送や断水地域での給水活動、遭難者の捜索などが大半を占め、震災時ほどの混乱はまだ経験していない。法整備がどこまで役立つかは、まだ本当には試されていない。

 福井豪雨ではより初歩的な課題を残した。即応部隊の出動準備は速やかに整ったが、出動時刻は、知事の災害派遣要請から四時間余り後だった。

 「準備はできても、どこに行くべきか情報が足りなかった。やみくもに出動できない」と松井与志基三尉(43)。

 防衛庁の資料には、「午後二時五十分、人員約百七十人、車両約三十両が福井市へ向け出発」とある。即応部隊の出動は、駐屯地を出る連隊の主力部隊と、同時になってしまっていた。

2004/9/9

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